89歳で父逝く

11/3憲法記念日の夜、父がお風呂の洗い場で倒れて心肺停止状態で救急車で運ばれ、搬送先の病院で亡くなりました。89歳でした。

 私は、11・2原発ゼロ集会と翌日の全国原発学習交流会と会議を終えて帰宅。自宅近くに救急車が止まっていて、車が出る直前に間に合いました。父が待っていてくれたのかもしれません。

今年の夏までは、家の周りの草を草刈機で刈っていましたが、もう腰が痛くてできないとお盆以降はベッドで寝ていること多く、足腰も弱くなり、食事もほとんど受け付けなくなくなっていて、お風呂だけはなんとか自力で入っていました。

最後の1週間は、家族も心配でときどき入浴中は見に行っていた矢先でした。でも、外傷もなくそのまま息を引きとったようです。

IMG_3895

 父は、20才そこそこで徴兵され、朝鮮半島からシベリアへ抑留され、戦後3年たってから帰国。帰国後、母と結婚。私たち4人姉妹は、小さい頃から父の戦争体験を聞いて育ちました。

 農業一筋に生きた父は、米づくりをはじめ養蚕、葉タバコなど1年中忙しい傍ら、若いうちから祖父の代わりに町内や地域の活動にかかわってきました。

 私の小学校時代にはPTA役員にもなり、PTA会長さんらとともに当時市内でもいち早く学校給食の実施やプールの設置などを市にかけあい、実現したようです。

母が3年前に亡くなってからは、父も寂しい思いをしていたようですが、私が議会活動などで忙しいと思ってか、自分でできることは自分でやっていました。最後までボケもせず、私たちに大した苦労もかけずに亡くなりました。

たくさんの人に支えられて、苦労もありましたが、幸せな人生だったと思います。これまでのご厚情にお礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました。

IMG_3941「戦争のない平和な日本を」、これが父の遺した思いです。私もこの思いを胸に、子どもたちや孫の未来のためにも頑張っていこうと思います。

 IMG_3872

11・2「原発ゼロ」ふくしま大集会に7,000人!

「なくせ原発」11・2ふくしま大集会が、福島市の荒川運動公園で開催されました。陽射しもあたたかく、まさに集会日より、7,000人が集いました。県内と全国から参加いただいた多くのみなさん、ありがとうございました。

集会では、楢葉町の住職早川篤雄(とくお)さん、が主催者を代表して挨拶。また、この集会の幅広い分野からよびかけ人になった21人(青木千代美さん、遠藤宮子さん、小渕真理さん、熊谷純一さん、酒井学さん、広田次男さんなど)を代表してJA福島女性部協議会会長の大川けい子さん(猪苗代町)が、福島の現状と原発ゼロを国・東電に求めていく決意を述べ、首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんも挨拶しました。

さらに、10月に笠井亮・高橋ちづ子両衆院議員と県議団ともに訪問し懇談した際、浪江町議会の意見書を手渡した浪江町議会議長の小黒敬三さんが檀上から挨拶され、大きな拍手を受けました。

政党では、民主党の金子恵美前参院議員も挨拶しましたが、民主党としての原発推進への根本的反省はなく、この後挨拶に立った共産党の市田忠義書記局長の挨拶には、会場からは大きな拍手がわきました。

連帯メッセージは、斉藤健治県議会議長と斉藤勝利副議長からも寄せられ、また、浪江町長からのメッセージも寄せられ紹介されました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

【進行は、県委員会のいわぶち友さんと町田書記長です】

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

集会に先立ち、会場に設営された共産党の交流テントでは、午前11時から高橋ちづ子衆院議員と宮本しづえ県議が原発事故による除染・賠償、子ども・被災者支援法のテーマでトーク。また、笠井亮衆院議員と私が福島原発の放射能汚染水対策についてのテーマでトーク。トークが進むにつれて、テント周辺は人でいっぱいになりました。

放射能汚染水問題は、9月に発表した共産党の4つの緊急提言について、1つずつ質問に答える形式ですすめました。笠井亮衆院議員はこの問題で国会で質問したばかり。また、私も9月県議会の全員協議会などでエネ庁や規制庁とのやりとりや県議会終了後の自民党の変化などを述べて、国の責任で対応すべき問題だと強調しました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA