8日、年明け初の県議団会議を開きました。県庁内で、熊本県議会事務局長と水野次長、議会事務局の職員のみなさん、そして議長室や各会派を回り新年の挨拶をしました。
新年明けましておめでとうございます。昨年は、多くのご支援により総選挙で2.6倍の21議へと大きく伸ばして頂きました。この力を、今年秋に予定されている郡山市議選と県議選へつなげて安倍政権の暴走に歯止めをかけ、平和と暮らしを守るため奮闘する決意です。引き続きのご支援をお願い申し上げます。
今年の活動は2日にスタートし、市議団と共に新春街宣を行いました。車などから手を振って応えてくれるなど、市民のみなさんの温かい反応にさらに元気をもらいました。
5日には、郡山商工会議所の賀詞交換会がホテルハマツで開かれ、経済県都らしく郡山の経済界の代表らが大勢参加し、私たち県議会議員や市議会議員、県内選出の国会議員らも参加しました。
丹治会頭が新年にあたっての挨拶を述べたあと、来賓として内堀知事が挨拶。内堀知事は、大震災・原発被災から4回目の正月を迎えたが、今なお12万人余が避難している。復興公営住宅へ初めて入居できるようになったことや医療機器安全評価センターが建設始まるなど、光と影があるが、スピード感をもって取り組むと述べました。
このあと、郡山青年会議所OB会の新年会にも来賓として出席。
丹治商工会議所会頭が来賓代表で挨拶しましたが、丹治会頭は、50年前に郡山市が合併する頃、いわき市と共に新産業都市に指定され、中央工業団地もでき、それ以降経済県都といわれるような今の発展につながったこと。
当時青年会議所の活動を県内へ広げるなど、時代を切り開いてきたようすを語り、後輩を激励しました。
郡山市は、市制90年、合併50年の節目を迎えています。
今朝の朝食は、「3日とろろ」にちなんで、昨年頂いていたりっぱな自然薯をすり下ろしました。
このすり鉢は、何年か前に亡き母と叔母を連れて立ち寄った大堀相馬焼きで買い求めたもの。でもそこは、原発事故で今も戻れない地域になってしまい、再開した人もそれぞれ別の場所で・・・。
さて、わが家は、息子夫婦は昨日帰り、今朝は二女と孫が帰るので、孫との最後の食事でした。いつもは、しっかりご飯を食べるのに半分ぐらいで「ごちそうさま」と。