地元中田町の3つある小学校のうち、この日は御舘小学校の大運動へ出席しました。
お天気はいいのに、気温が少し低く、風も強い中、大玉ころがしは逆風にめげず子どもたちは必死に頑張っていました!
24日、午前中は市内西部地域で街頭宣伝を7カ所で行いました。5/14午後1時30分から共産党演説会が郡山市ユラックス熱海で開催されますが、そのお知らせもしました。
午後は、岡田哲夫市議ブロックのお花見会に参加。開成山の宮本百合子文学碑のまん前でした。この文学碑には、百合子の処女作「貧しき人々の群れ」の最後の一節が刻まれていますが、この石は、中田町黒石山の黒御影です。
宮本百合子は、郡山ゆかりの人。祖父の中条政恒は明治初期に安積開拓を行い、今日の郡山の発展の基礎をつくりました。そして、終戦の日の1945年8月15日を百合子は郡山開成の地にある祖母の家で迎えます。小説「播州平野」で「日本じゅうが森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音もなくめくったのであった」と表現。
19日、党県議団は、今回の熊本市を中心とする「九州地方地震救援と川内原発の停止、全原発の再稼働中止を求める申し入れ」を県に行いました。県から、は危機管理部の五十嵐政策監らが応対しました。
申し入れは、3項目です。1つは、県として、関係自治体と連携して、救命・救援に万全の措置を図ること。5年前の教訓をふまえて、医師、看護師、土木技術職等の派遣を検討すること。国に対し被災者への支援、二次災害や被害の拡大防止に全力を集中」するよう求めること。
2つ目は、不測の事態を備えて、川内原発を直ちに停止するよう国にもとめること。3つ目は、原発事故被災県として、安倍内閣が前のめりで進めている全国の原発再稼働の中止を求めること。
県によれば、最初に3人の職員を派遣し実情を把握している。救援物資もすぐに要請あれば支援できるように準備をしている。避難者は、熊本県に36世帯76人いるが、あと3世帯5人がまだ連絡がとれないでいるとのことでした。
県議団からは、相手からの要請待ちにならないよう、県からも積極的に聞くなりして支援を行うこと。また、県民からも不安の声があがっているように、川内原発をただちに停止するよう求めるべきことを強調しました。
17日、午後は三春町の斎藤里内仮設住宅で、葛尾村の避難者と懇談しました。今回初めてです。
高橋ちづ子衆院議員が、翌日から衆院復興特別委員会で川内、葛尾村、広野町の現地視察が予定されており、事前に避難者から実状をお聞きしようとなって、自治会長さんから参加をよびかけていただきました。私たち県議団からは私と阿部県議と吉田県議、三春町の山崎ふじ子町議も同席し懇談しました。
葛尾村は、今年6月にも避難指示を解除する方針です。ただ、避難者の実情はさまざまで、帰りたいけれど、家屋の解体除染を希望しているがいつになるのかわからないという女性。村に診療所はあるが、村の医院も医師が高齢のため閉鎖したため、無医村になったという人。
野菜をつくったり、山に入って山菜も取れない。コメを作っても売れるのかどうか。子どもや孫は、放射線量が高いところもあるし、避難先で仕事もあるので戻らないと思う。年寄りだけでは、生活できない。年金だけで暮らすのは大変。医療費減免はもう少し継続してもらいたいという高齢者たち。元村会議員の方もいて、要望や意見がよせられました。
集会所には、みなさんで作成した2つの布絵が飾られていて、葛尾村の自然豊かな暮らしを思い出させてくれるようです。
14日、高橋千鶴子衆院議員、いわぶち友参院予定候補、くまがい智予定候補とともに、共産党県委員会と県議団で、来年3月末で仮設住宅や賠償・除染の打ち切り問題で、川内村の避難者と共に継続・延長を求め、国会内で政府交渉をしました。
郡山に避難している川内村の2人が初めて参加。5年たつ避難の実態や今後の不安について発言し、政府の考えを求めました。広野町の元町議の畑中大子さんも現状を訴え、「打ち切り」でなく仮設住宅や支援の継続を求めました。
営業損害賠償については、東電が原発事故との「相当因果関係」に関する資料をようやく示したものの、県内の自動車販売台数や大手スーパーの売り上げなど、中小・零細業者の実態に合わないと、国に東電の資料を手渡して指摘。しかし、経産省はその資料さえ東電から入手していないことが判明。すぐに手に入れ、国として検討すべきと強く求めました。
除染については、再除染や森林除染や河川やため池、貯水槽なども実施するよう求めました。
仮設住宅から追い出しする問題では、「県が決めたことだから」と国が回答しましたが、そもそもこれを決めたのは安倍政権が、昨年6月に指針改定ではありませんか。避難者支援も除染も賠償も、来年3月末で打ち切る「県民切り捨て」は許せません。今年7月の参院選挙で、安倍政権ノーの審判をご一緒に!