11/2、福島市の荒川運動公園(福島市柳町)で開催される「なくせ!原発 11・2ふくしま大集会」に、みなさんぜひおでかけ下さい。どなたでも原発なくせ!の思いの方大歓迎です。
大集会実行委員会の主催です。50を超える各テントでは、交流会やトーク集会の企画などが行なわれます。私も笠井亮衆院議員と共に、放射能汚染水問題でコーナーで質問などにお答えする予定です。
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27日、郡山市九条の会の主催で、ベアテ・シロタ・ゴードンさんと太田緑子さん「追憶と憲法のつどい」が、郡山市民文化センターで開催されました。 参加者には、日本国憲法の本も配布されました。
ベアテさんは、ご存知の方も多いと思いますが、現在の日本国憲法の起草に参加し、憲法第24条の「男女平等」の条項を書かれた方です。
ベアテさんの人となりについて話をされたのは、ベアテさんの自伝「1945年のクリスマス」の編集をされた平岡磨紀子さんでした。
ベアテさんは、GHQ民生局の一員として日本に再び来日。わずか1週間という制約の中で、彼女に与えられたのは憲法第24条「男女平等」、人権に関する条項の草案でした。世界で最も優れた憲法にしようと、焼け野原の東京都内の図書館などから苦労をして資料を集め、精魂込めて書いたのです。まだ22歳でした。
少女時から中学生まで日本で過ごした中で、日本女性の無権利状態を良く知っていたからこそ、それを新しい憲法に書き入れようと頑張ったのです。
また、ベアテさんはユダヤ人であったことから、裕福な家庭に育ったけれど学校ではいじめにあっていたこと。こうした彼女の生い立ちが、人権問題に敏感な感性をもたらしたようです。
また、ベアテさんは、憲法を変えようという人たちから「アメリカからの押しつけ憲法」とよくいわれるけど、「押しつけ」ってよくないことを無理にすすめることでしょ。母国のアメリカの憲法にも明記されていない基本的人権の尊重を明記しているのは日本国憲法だけ。良いことは、押しつけとはいいませんよね」と反論していたとも。
平岡さんのお話を聞いて、郡山での「真珠の首飾りの公演」や、ジェームス三木さんを招いてベアテさんと対談された当時のようすを思い出しましたが、その時もこの文化センターの同じ壇上でした。
また、その企画は、郡山の元太田病院理事長の太田緑子さんでした。太田緑子さんについては、前知事の佐藤栄佐久さんが話をされました。
太田緑子さんは「男女平等」を実行され、多くの社会的役職にも就かれ、県九条の会の呼びかけ人でもありました。県九条の会の挨拶で「憲法9条を守ることを私の遺言とします」と述べていたことを思い出します。
私のニュースが発行間もない頃に登場して頂いたご縁で、その後もお会いする度に励ましの言葉をかけて頂いてきました。
安倍政権が9条改憲に向けて危険な動きをあらわにし、まず、その前段として「秘密保護法」を今臨時国会で通過させ、国民の目や耳、口をふさいでしまおうと狙っています。
秘密保護法は、「原発」関係も対象になると今国会で答弁しています。今でさえも原発事故の情報を小出しにし、構内でのカメラ撮影も制限されているのです。
原発廃炉も、情報を求めることさえできなくなります。集会もデモも日本の国益を損なう行為とみなされれば、最高10年の刑に処されます。
しかし、何が国益を損なうことになるのか、それを決めるのは誰なのか、時の政権権力者だけなのか、こんな恐ろしい戦前の治安維持法と同じ国民弾圧法を通過させてはなりません。
ベアテさんは昨年12月に、太田さんは2010年10月に他界されていますが、政権党である安倍内閣の危険な動きに、女性の開放と平和な未来を共に願っていたお二人が生きていたら決して黙ってはいないでしょう。
私たちはこのお二人の遺志を引き継いで、行動を起こさねばならないと思います。
10月は、秋真っ只中。台風の接近もあり多少の被害をもたらしたものの、私地元中田町は大事に至らず、各種行事が満載でした。きょうは、写真でまとめてお知らせします!
<6日/中田少年スポーツ大会>
<12日/柳橋歌舞伎上演>
今年は、台風接近のため1ヵ月遅れのしかも室内開催となりました。この写真は、地元の御舘中学校の生徒さんによる「義経三本桜」です。台風が去って夜は急に寒さが迫ってきた日、ショールを巻いてもブルブル振るえようなとても寒い夜でした。
<14日/わが家の稲刈り風景>
勤めの傍ら、春先からの田興しから、暑い夏が続いた今年も汗水流しながら田んぼの手入れと草刈りに励んだ夫。10/14は、秋の晴天に恵まれ親戚の大型コンバインで刈ってもらいました。乾燥状態も良かったので、夜には米袋に詰める作業もでき、私も手伝いました。
今年は30キロの袋で95袋採れました。飯米と親戚の縁故米を残して半分以上は農民連に出荷しました。もちろん、飯米、出荷米どちらもこのあと農民連やJAで全袋検査しました。
稲刈りが終わった翌日は小雨模様でしたが、久しぶりに夫と会津若松へドライブに。会津鶴ヶ城では、久しぶりに天守閣の中にも入って見学してみました。NHK大河ドラマ八重の桜は今京都に舞台が移っていますが、八重の桜にちなんだ展示がされていました。天守閣からみえる景色もなかなか気持ち良いものですね。
<26日/宮城小学校創立140周年記念学習発表会>
1年生によるかわいい歓迎の言葉。なつかしい「大きなかぶ」の話をアレンジした演劇も。子どもたちの元気な演技と笑顔に、心癒された楽しい1日でした。隣の席の中田行政センターの副所長さんは、感激してしきりに涙を拭いていました。最後まで見て、140周年をお祝いしたあたたかいトン汁もごちそうになってきました。
<27日/御舘中学校文化祭~中学生による白波5人男・柳橋歌舞伎上演>
消防検閲式へ出席のためみれずに残念でしたが、中学生による柳橋歌舞伎も上演されました。演目が終わる度に、撮影タイムや生徒1人ずつに演技の感想を聞くコーナーもあり、なかなかおもしろい企画でした。
白波5人男、顔をみるとかわいい中学生ですが、背丈は大人な並み。舞台袖では女子中学生たちが三味線を演奏したり、太鼓や効果音もあり舞台を盛り上げました。
党県議団は、このほど原発立地4町が「原発廃炉」の方向を決めた旨の報道があったことから、21日は双葉町長と楢葉町長と、22日は富岡町長と川内村長を訪問し、懇談しました。
21日は、いわき市に仮役場がある双葉町と楢葉町を訪問。双葉町は、今年6/17に埼玉県加須市の旧騎西高校から役場本体をいわき市東田町(植田駅近く)に移転したばかり。今年3月の町長選で初当選した伊澤史朗町長と懇談しました。
伊澤町長は、国策によって長期にわたる避難を余儀なくされた。自治体が自ら阪判断してできない状態に置かれ、自治体が自治体でなくなっているとの苦悩を表明され、半澤副町長からは、国には「帰還」へのメニューはあっても、帰れない人への支援が見当たらないと。これも同感です。
楢葉町は、いわき明星大学の学生寮の建物内にある仮役場を訪問し、楢葉町の松本幸英町長と懇談しました。松本町長は、県原発所在町協議会の会長でもあります。「福島の原発10基廃炉」を4町長については確認したと明言しました。
22日は、富岡町と川内村を訪問。富岡町は、郡山市大槻町に仮役場がある富岡町の宮本皓一町長と懇談。宮本町長は、今年7月の町長選で初当選したばかりです。午後は、川内村へ行き、遠藤雄幸村長と懇談しました。
川内村は、避難指示区域の市町村で最も早く帰村宣言し、昨年4月に帰村しました。まず、役場機能を戻し現場で支援していくことを決め、村内に雇用の場をと野菜工場や企業を誘致したり、コンビニや診療所、学校も再開させましたが、戻った人は約1,300人。
50歳以上の帰村率は57.8%で、50歳未満は26%です。若い世代と高齢者が戻っていない現状です。その理由は、放射能による被害が怖いというのが最も多い理由でした。
【夜間は、この発光ダイオードの光合成の光をあてて育てます】【猪狩副町長は、この野菜工場の役員でもあります】
県内の自治体の9割(59のうち52市町村)が10基廃炉決議・意見書採択していますが、今回、県原発所在町協議会の4町(大熊・双葉・富岡・広野)が「福島原発10基廃炉」を決めたことは大きく、文字通り「オール福島」の声となったことを意味します。
双葉町村長との今回の懇談を通じて、各町の揺るぎない意思で一致していることがわかりました。まだ、訪問できていない大熊町と葛尾村にも機会をつくって訪問したいと思います。
また、各町村がそれぞれ抱える課題は違っても、除染・賠償については中間指針の見直しを求める要望や、傷んで雨漏りがしたり、ねずみなどの小動物が入りとても住めない状態なのに、家屋の内側の除染費用や解体建て替え費用を国が認めていない問題。
さらに、町の計画で5~6年は戻れないとしているが、長期避難による住宅の問題も深刻です。しかし、国は仮設や借上げ住宅の住み替えを認めていない、復興公営住宅もまだ整備されていないなどの課題は共通です。
自然災害とは全く異質の原発事故がもらした被害です。どれも、わが国で経験したことがない新しい事例ばかり。福島特措法による適用の拡充をはじめ必要な立法措置を国に求め、福島から声を上げ続け私たちで切り開いていくしかありません。そのため、共に力を合わせていきましょうとよびかけました。
それぞれの役場では、町村長をはじめ副町村長、担当課長のほか、県から出向している避難地域の担当者も同席し、3・11から2年7ヶ月、互いに率直な意見交換ができたと思います。
11日若手専従者の学習会で、私が原発汚染水問題について県議会での論戦など、県政報告をしました。
笠井亮衆院議員からも挨拶があり、東南南アジアを志位委員長と訪問してきたことに触れ、海外では福島原発の汚染水問題が大きな問題として報道されていること。
それなのに、安倍首相は原発をトルコにまでへ原発を輸出しようとしていることを報告しました。来週からの臨時国会で頑張る決意を述べて大きな拍手がわきました。
世田谷後援会のみなさんが、被災地ツアーで来県。南相馬市を視察し、夜は飯坂温泉に宿泊。都議選で支援した関係もあって私たち県議や委員長、斉藤自治対部長も参加し交流しました。また、三田世田谷地区委員長から、県委員会へ支援カンパをよせていただきました。
バスの移動中では、25日の福島県議会の全協で原発汚染水問題で追及した私の質問と、阿部県議が除染・賠償問題で追求したDVDを見てくれたそうです。13日は宮城県の被災地へ。
11日は、笠井亮衆院議員とともに内堀副知事と懇談。ちょうど、この日は3・11から2年7ヶ月です。
笠井議員は、原発汚染水問題について、党の緊急提言の4つの立場で国が全面に立つよう来週15日から始まる国会でも取り組んでいくと表明。
また、東電は10日、安倍首相がブロックされていると国際公約した第一原発の港湾外の海水からセシウム137が1リットル当たり1.4ベクレル初めて検出されたと発表(写真は、福島民友10/11)。東電が採取を始めた8/14以降で初めてです。
県議会が閉会するのを待っていたかのようです。私たちが全協や県議会本会議場で「安倍首相の汚染水ブロック発言」に対して国も東電も県も、「海洋モニタリング結果からは影響がない」と答弁していましたが、ストロンチウムなどのベータ線の結果は、時間がかかっているとしてまだ公表していません。
セシウムが検出されたとなれば、安倍首相は国際公約違反です。臨時国会でも問題になるでしょう。
9月県議会は、原発放射能汚染水問題への対策が、大きな焦点でしたが、もう1つあまり報道されていませんが、県議会の運営をめぐる自民党会派の多数横暴がきわだった議会でした。
福島県議会は、議長・副議長はじめ各常任委員長などのポストを2年ごとに改選しています。それに連動して自民党会派は議会内の役員ポストをめぐる攻防が繰り広げられ、それが他会派にも影響を及ぼすのです。
今回は、私たちが2年前の改選直後から希望を表明していた、医療・福祉分野がある福祉公安常任委員会入りが妨害され、後半の2年間も所属できないことになりました。
私たちは、7日に自民党議員会の遠藤会長に対し ①委員会配分の再検討と、②、自民党現職県議の政治資金をめぐる疑義が、わが党に届いていることに関し、会派としての自浄能力を発揮し調査をすべき、との2点を申し入れました。
この申し入れには、平出幹事長も同席しました。自民党会派の人事は、幹事長が決めるそうですが、次期議長候補でもあります。
99年の県議選で共産党が5人になり、初めて交渉会派入りを果たした時は、後半の2年間は所属できたのです。ところが、今回は認めず自民党が希望人数を増やして妨害。これが、多数の横暴でなくてなんというのでしょうか。代表者会議でもこのことを述べました。
一方、公明党会派には3人の会派で交渉会派でもないのに、前半に引き続きも後半も福祉公安委員会委員長のポストにつきました。自民・公明政権だからとしても国政と県議会は違うのです。
今年の参院選挙後以降、わが県議会でもこうした議会人事をみても、また、意見書への態度をみても「自共対決」が鮮明となりました。
9日の最終本会議では、意見書の態度が分かれ、特定秘密保護法に慎重な対応を求める意見書、原発汚染水対策の早期実現と原発賠償の完全賠償を求める意見書は、全会一致で採択。
その一方で、わが党紹介の消費税増税中止を求める意見書はわが党と福島・みどりの賛成で、高校無償化に所得制限導入に反対する意見書は、わが党と民主党などの会派の賛成少数で、否決としたのです。
また公明党は、若者の雇用の労働法性の改悪をすすめ日本全体をブラック企業化する安倍政権の雇用政策を後押しする意見書を提出。これに反対したのはわが党だけで、採択とされました。
県議会が閉会した翌日の10日、笠井亮衆院議員と高橋ちづ子衆院議員が来県。県議団と汚染水問題で全協や本会議場でも論戦の到達を報告。また、避難自治体の浪江町長と川俣町長と懇談し県議団も同行しました。
10日は、二本松市にある浪江町の仮役場に行き、浪江の馬場有町長はじめ渡邊副町長、小黒議長、佐々木副議長らと懇談。地元の馬場績町議も参加しました。馬場町長は、3・11からきょうで945日目だと述べながら、ガレキを片付け、除染やインフラの復旧をすすめているが、最近の住民意向調査では、避難当時は60%が戻る人だったのに今回は18.8に減少し、多くの町民が戻らないか戻れないと回答している。その要因が原発問題、汚染水漏れ問題があると述べました。
小黒議長は、汚染水の抜本対策を求める国への意見書を町議会として採択し、笠井衆院議員にも手渡しました。事故後57回を超える意見書を国へ上げてきたそうです。
原発事故が起きる前は、国策と言われ安全安心といわれ思考停止状態だったが、共産党のいうとおりになった。今月8日にも国へ要望してきたが、現場とは相当感覚がズレていると思った。オリンピックは7年後だが、こちら福島を優先してほしいと要望されました。
さらに、副町長からは汚染水のタンクの保管方法や、東電の再稼動申請にも話題が及びました。
馬場町長からは、静岡に招待を受けて避難・防災のことで講演した際、市長が「いったん原発事故が起きれば、財産まで奪われることにみなさん我慢できますか」と問いかけていたのが印象に残ったと。双葉地域の立地4町が原発廃炉を決めようとしている意義は大きいとも。
復興住宅については、帰還困難地域とそれ以外、津波被害地域の集団移転と、それぞれ違う対応になるため、復興計画もできないでいると。
川俣町での懇談では、古川道郎町長から説明を受けました。今年8月に山木屋地区が避難指示区域から避難指示解除準備区域に再編されたが、町全体の一部分の問題とみられていること。
それは、帰還困難区域は災害復興住宅が認められるのに、解除準備区域になるとこの制度がないことです。これは制度の狭間に置かれた問題で、根本復興大臣にも質したところ、大臣もおかしいと言っているそうです。
さらに、除染についても、ようやく森林や住宅に近いところの再除染(フォローアップ 除染というそうだが)を認めるようになったが、飯舘村で実施した屋敷周りのイグネの除染について国が効果がないと川俣町のを認めようとしなかった。しかし、モニタリング除染は町としてやることにしたとのこと。
石川党町議からも、杉の木は伐採した方が効果があり、手間も簡単で費用もかからないと思うのに環境省は枝切りしか認めない。無駄な方法を改め、必要な除染はやってほしいと要望されました。
放射能汚染水問題に関して古川町長は、汚染水処理の国や東電の取り組みいかんでは、除染や中間貯貯蔵施設に対する住民の信用問題にも響くと指摘していますが、まったくそのとおりです。
9日、県議会最終日のお昼の時間に、JA中央会の役員が来室しあました。、安倍政権がTPP交渉参加に前のめりで、参院選挙の公約さえ守ろうとしていないと要請文を持ってこられたのです。
TPP交渉では、重要5品目は事実上なし崩しにされようとしていることが、ちょうどNHKが昼のニュースを報道している時間帯でした。
JAは、交渉内容は全て秘密にされて、情報が分からない。自民党の公約異違反には、「アリの一穴で」頑張っていくと表明。TPP問題の中央集会で志位委員長が挨拶したことに感謝の言葉も頂きました。
最終本会議での審議報告のあと、議案や意見書・請願への採決が終わり、全ての議事日程を終えて、控室に議長・副議長、知事や副知事、教育庁、県警本部長などが各部屋挨拶に来ます。16日間の県議会がようやく終わりました。
8日、県議会の本会議場で総括質問が行われ、共産党から私が持ち時間15分間で①原発汚染水・賠償問題、②避難者支援、③子どもの健康支援の3点について質問。
原発汚染水問題については、県にもあらためて「放射能で海を汚さない」ことを大前提とするよう求めた上で、安倍首相のIOC総会での「汚染水はブロックされている」との発言について県の認識を質しました。
県生活環境部長は、「影響は、海洋モニタリング結果などから確認されていないが、しっかり監視していく」と述べたので、「ブロックされているのかいないのか、端的に答弁せよ」と再三答弁を求めても、これには明言をさけました。
ところで、今回私は2枚のパネルを示して県に質問。1枚は、全員協議会でも国の資源エネ庁・規制庁への質問で使用した9/22付赤旗日曜版の1面トップ写真です。
もう1枚は、県の廃炉安全監視協議会の会議資料にある、東電の原子炉許可申請書の中の、1966年(S41年)7月に提出された当時の第一原発建設予定地の地形図です。
福島第一原発の敷地には、当時海に向かって3本の川があったとされていますが、この地形図からも読み取れます。地下水の流れ、地上タンクや建屋からの汚染水が海へどうやって流れ出ているのか、それには足元の地下構造全体がどうなっているのかを調査する必要があると指摘詩、県の認識を問いました。
県の廃炉安全監視協議会に、新たに地質や地下水などの専門家3人を増員したばかりです。知事には、これら専門家の意見をよく聞き、凍土方式が万全な方策なのかどうかを含め、国に具体的対策を求めていくべきと質しました。
さらに、企画調整部長には、9/27東京電力が新潟県柏崎刈羽原発の「再稼働」を申請したことについて質問。汚染水問題が何1つ解決していない中で「再稼動はあり得ない」と批判し、東電・規制庁に対し「県は再稼働申請の取り下げを求めるべき」と求めましたが、県は「国と東電が判断すべきこと」と、全く他人事のような答弁を繰り返すだけでした。
汚染水問題、除染、賠償へのずさんな対応、再稼動まで申請したが、東京電力には、もはやその資格も能力もないことは明らかだと指摘し、『東電の破たん処理』を求めよと迫りましたが、「国が判断すべきもの」と答弁。県も肝心な点には言及しない姿勢があらわになりました。
避難者支援については、仮設住宅の入居期間を複数年単位での延長や精神的・財物賠償の指針見直しを国に求めること。また、災害救助法では限界があるため、原発事故に起因する支援は、子ども・被災者支援法や福島復興再生特別法(福島特措法)で支援が継続できるよう、さらなる拡充を国へ求めていくよう質しました。
復興公営住宅の入居に関しては、視覚障がい者からも要望されていたように、現在のコミュニティを維持できるよう親戚や友人なども周辺に住めるようにすると県が前向きの答弁がありました。ただし、実際の入居は早くても来年度以降です。
災害・原発事故から2年半の県内の自殺者数は、1,200人余と県警が明らかにしました。本県の災害関連死は1,500人となり、原発事故による自殺者は38人と政府が発表してます。
一方、子どもの健康支援については、原発事故を受けた本県だからこそ、児童精神科の創設を含めた県立子ども病院の設置を県中地区にと求めましたが、医大に周産期医療体制を充実したと答弁するにとどまりました。
この他、ふくしまっ子体験活動応援事業の継続・拡充、さらに、母親と子どもの精神的ストレスへの対応を求めました。