郡山市と台風15号被害の対応について懇談

 【郡山市役所内で、台風被害で当局と懇談】

 13日、3人の党市議団とともに、郡山市の災害担当部と9月の台風15号被害について懇談し、県や国への要望等をお聴きしました。 

 市総務部高田部長、遠藤消防防災課長、渡辺下水道部長、吉富建設部次長に応対していただきました。

 9月21日~22日にかけて、台風直撃による大雨で、市内を横断している一級河川阿武隈川の水位が過去最高の9.25mを観測。

 国交省の指示で、内水面の排水がとめられ、内水被害が広がり、浸水被害は10/12現在で、床上浸水は464世帯、床下浸水は1,024世帯となっています。

 救助者は305人、消防団や消防署、自衛隊のボートが14曹出動したとされています。

 懇談では、市から故障などにより稼動しなかった古川ポンプ場の説明を受け、国管理のポンプ場も停止されたこともわかりました。

 阿武隈川流域の自治体で、県や国へポンプ場の増設を要望してきているとのこと。また、雨水菅の整備に対する県の補助率は09年度に2%から1%にと県財政が厳しいとの理由で引き下げられたこと。むしろもっと引き上げをとの要望です。当然です。

  また、市では、昨年の局地的なゲリラ豪雨の災害で駅前付近が冠水したが、雨水と汚水が一緒の35ミリ口径の古い配管では呑み込めないため、もう1本50ミリ口径の太い配管を敷設中とのこと。

  私は、ハード面の河川堤防整備をすすめても内水面被害は解決しないことは、3・11の津波被害でも反省が出ていることを指摘し、市内に遊水地の設置を検討することや既存のため池の機能を見直すべきではないかと提案。

 さらに、被災者支援の面では、避難指示や市民への広報のあり方について意見交換しました。

 住民の命、財産を守るために、市と県、国が互いに情報を交換し、協力・連携して一体して救助・災害対応にあたることが求められます。

 それにしても、ここ数年間の行革による職員の大幅削減政策は問題です。市下水道課はわずか11人とは・・・。これでは迅速な対応をといっても難しいはず。今回の災害を機に、見直しすべき課題の1つではないでしょうか。

緑ヶ丘の仮設で、青年たちが中心になり「青空市」を開催 / 冬物衣類など30分で「完売」の大盛況!

9日、青年たちが企画して実行した仮設住宅での無料「青空市」を初めて開催しました。先日、私も一緒に下見をかねて了承をとりつけてきた緑ヶ丘の仮設住宅ですが、きょうはお天気もよく絶好の青空市日よりでした。

民青同盟班が友人などによびかけたり、駅前の署名行動で知り合った市内の大学生もボランティアで参加するなど青年十数人のほか、郡山復興共同センターの伊藤会長夫妻も応援にかけつけました。冬物衣類などの物資は、青年たちの母親たちが集めてきてくれました。

仮設住宅では、事前にお知らせしたこともあり、10時の開催前からすでにたくさんの人だかりです。準備ができるまで少々待ってもらい、いざ始まるや衣類コーナーへ殺到していました。

冬物の衣類は、まだまだ必要なようです。足が悪いお年寄りの方は、その勢いに追いつけず、結局LLサイズもなかったようでがっかりしたようでした。ぜひ、冬物衣類などあれば、ご提供をよろしくお願い致します。

私は、食器コーナーで応対。1個、2個、あるいは家族分をまとめてなど、必要に応じていろいろです。

 また、網戸をつけてほしいとの要望を受けて、一緒に訪ねてみました。障害者用のスロープがあるお宅ですが、車イスではありません。

すぐに台所になっている入り口に網戸がないため虫が入って困っていること。県に何度も要望もしているそうです。先日の台風の時に雨脚がひどく、段差がない入り口から家の中に雨が入り込みそうで大変だったこと。風除けがある入り口にもう1つガラス戸の仕切りがあれば、雨雪も防げ、玄関としても使えるはずです。

 さて、青年たちもアンケートをもって各戸を訪問し要望を聞いて回っていました。次回も企画する必要がありそうです。

 

市内で原発・放射能問題を考えるつどい 

10/1、市内で原発放射能問題を考えるつどいを開きました。メイン講師は、医療生協の理事の先崎伍郎さんです。内部被ばくについて、難しい問題をグッズなどを用意しての講演はわかりやすいお話です。

         【市議会報告をする高橋よしはる市議】

私からは、県議会で東電社長をよんで質問したことを中心し県議会報告を行ない、高橋市議からも市の除染のあり方や農産物などの食品部分析体制など、市議会報告をしました。

 30人近い参加者からは、質問や意見があいつぎ、私も質問に答え意見交換をしましたが、時間が足りないくらいでした。今後もこうした学習会を開いていくことになりました。

党国会議員が郡山で調査 / 台風被害で住民と懇談、避難指示解除目前の川内村と懇談 郡山

26日、党国会議員の高橋ちづ子衆議院議員と塩川鉄也衆議院議員が、調査のため郡山に入りました。今回は、台風15号による水害被害の調査と、9月末で川内村が「避難解除」となるため村に戻る上での課題などについて村の考えを伺うためです。

水害の被害を受けた地域の小原田地区の町内会長さんのお宅に役員の方やご近所方など10数人が待っていてくれました。

大雨が降っていたあの晩、市の防災無線はほとんど聞こえず、町会に避難情報があったのは1時間後。しかし、いったん水が引いたので町会役員はいったん帰宅。

しかし、水位があがったのはそのあとだったのです。夜中の12時すぎに電話で知ったが、あっという間に水位が増して連絡もそこそこに避難せざるをえなかったこと。

また、古川ポンプ場が作動しかなかったことは大きい。阿武隈川の水位は86年の大水害、「8・5水害」の時よりも高かったそうです。市の対応の遅れといい、阿武隈川を管理する国の判断も実際はどうだったのでしょうか。

県は、南川で内水面被害対策の工事をしていたはずですが、まだ完成していなかったことも要因ではないかともいわれています。いずれにしても、原因の解明はまだこれからです。

さて、原発事故で緊急時避難準備区域に指定された川内村は、9月末で解除されます。ビッグパレットにある仮役場に行き、遠藤雄幸村長へ挨拶。

遠藤村長は、来年3月頃までには帰村することを明らかにし、まず村内の除染を徹底していく計画を立てたこと。しかし、国が除染の方法や費用面を一向に明らかにしていないことへの不満が口にされ、早く除染支援をと要望されました。

 猪狩副村長からは、ライフラインや買い物先が、これまでは冨岡町など浜通りだったが、その町村はいまや原発事故で戻れないまま。あぶくま山系の峠を超えて行き来するのは、特に冬場が大変になると。道路網の整備、ゴミの収集、雇用対策など、生活できる村に戻すための課題は山積みです。

 

台風15号、郡山市内の一部でボートでの避難など被害甚大

 台風15号は、日本列島各地で豪雨災害をもらし、甚大な被害がでました。

                    【23日付け福島民友1面】

    【地元紙に掲載された同じ場所です。道路の両側には車がびっしりと】

 22日に郡山を通過した台風による大雨で、福島県を縦断している阿武隈川が危険水域に達しました。1986年の8・5水害の時は、この阿武隈川が決壊し郡山も大災害となりました。今回は決壊こそしませんでしたが、内水面被害が甚大です。

 阿武隈川のすぐ西側の一帯と、逢瀬川が一部決壊したことから郡山駅周辺と福島交通バスプールが被害を受け、2日間市内のバス運行が休止する事態になっています。在来線はすでに運休中です。

 きょうは、阿武隈川沿いの床上浸水地区一帯を訪問し、ようすを尋ねてきました。きのうまでは水が家屋の1階部分まで浸かり、ボートで避難したという被害地区です。   私の行きつけの美容室に伺うと、駐車場には泥にまみれた家財道具が出され、泥を水で流している最中でした。その周辺でもきょうは、天気が良くお彼岸でもあるため、みんな家族やお手伝いに来た人たちで泥出しをしていました。

 その時のようすをいろいろ伺う中で、共通して出されたのが、市が内水面被害を軽減するためのポンプ場が故障して運転していなかったこと。それなのに、市から明確な避難指示が届いていなかったことです。そういう意味では「人災」ではないかとの声があがっています。

 幸い犠牲者はなかったようですが゙、ポンプ場があるから8・5水害のようにならないだろうと安心して寝てしまったと言う人もたくさんいました。夜中の3時すぎに、自衛隊のボートで避難したそうです。           【今回故障して稼動しなかったという市の古川ポンプ場】

 地震で家屋が被害を受けていた方も少なくありませんから二重の被害です。地震でこわれた家具を買い直したばかりなのに、全部ダメになったと。ここでは、息子夫婦に赤ちゃんが生まれて退院してきたばかりだったそうです。

 また、アパート住まいで1階に住んでいた若い夫婦は、大家さんから水害はポンプ場があるから大丈夫と聞いていたのに・・・。すべて浸水しになりました。この方の実家は、原発事故で避難している 大熊町でした。           【車庫の屋根近くまでどっぷり泥水につかり、多くの車もダメに】

 いずれにしても、市の対応のあり方と今後の被災者救援の対策が必要です。来週始めには、高橋ちづ子衆院議員も調査に入る予定です。

 【党後援会事務所のわかば会の建物も一部床上浸水。高橋市議などが青年たちときれいに掃除。床下に風を通しています】

 

幻想的な海老根伝統手すき和紙の「秋蛍」~柳橋歌舞伎で地元の中学生が熱演

17日と18日の夜は、中田町の江戸時代から伝わる2つの伝統文化イベントが開催されました。心配されていた台風は、何とか免れました。

海老根地区の伝統手すき和紙は、1年かけて和紙の原料となるこうぞを育て、それを切り出して寒さがつのる12月に漉きます。昔は、正月に新しい障子に張り替えるため、年末に行商して歩いたようです。 それを地元保存会のみなさんが10数年前に復活させ、地元小学校の卒業証書を和紙で作成したのがきっかけです。

 その後、稲穂が実る田んぼの畔道に灯篭にして並べる灯りのページェントを企画するようになり、「秋蛍」のイベントは今年で9年目になりました。柳橋歌舞伎とともに、すっかり中田町の観光名所になり、観光客がバスツアーでやってきます。それでも、今年は大震災・原発事故の影響でここでも観光客が減っています。

 

「義経千本桜」を熱演する御舘中学校の生徒たち。

 

双葉町消防団へ党の義援金~「命を最優先する県政に」と井戸川町長・中田町在住者から県へ富士山頂の復興祈願のお札           

 15日、双葉町消防団へ党中央委員会からの義援金を届けるため、久保田県委員長とともに役場機能を移転している埼玉県加須市の旧騎西高校へ行ってきました。

双葉町の井戸川克隆町長へ義援金の目録を直接手渡し懇談。大震災・原発事故発生後は初めてです。

井戸川町長によれば、原発が爆発直後に国から避難指示があったとはいうものの、どこへ避難すべきかという指示は一切なく、国道114線を西の方面へ避難するしかないと思い受け入れ先として川俣町へ連絡したとのこと。

10キロ圏内の原発立地町でさえ、こういう国の対応ですから、周辺自治体には何の指示もないのもある意味当然だったのでしょう。しかし、国も東電も人命救助よりも原発優先だったことはまちがいないでしょう。

国も東電も「安全神話」をふりまいてきた責任と、重大事故に対応する対策を全くとってこなかった責任は大変重大な過失だと思いました。

井戸川町長の思いは1つ。住民の命を最優先に考えての県外避難だったというものです。県には、県民健康調査をするというのであれば、原発に近いところにいた特に子どもたちの内部被曝検査を一刻も早くやってほしいと要望されました。

 ところで、私の地元中田町在住の方が、匿名で県の復興を願って富士山の浅間神社で祈願してきたというお札が、私の自宅に届けられました。

知事は多忙とのことなので、県災害対策本部の小野生活環境部政策監へ手渡しました。大変りっぱなもので、この方の復興への深い想いが伝わってきます。

大震災から半年。原発事故の収束の方向みえず / 小名浜港とアクアマリンへ

11日、きょうで大震災・津波からちょうど半年です。半年前の3/11、あの日の大地震の恐怖の体験は誰も忘れることができないと思います。たくさんの命も犠牲になりました。福島県は、そこに原発事故も加わり、程度の差はあっても重い気持ちをずっと引きずっています。

          【江名港。港の地盤が少し沈み、倉庫も1階部分が壊れて】

 きょうは、夫とドライブがてら、いわき方面へ出かけてきました。この夏は、母の1周忌、新盆を何とか終わらせることができ、ほっとする間もなく郡山市議選に突入。無事3人全員当選でき、そのあとも臨時議会や全協などで忙しかったこの1週間。

たまたま日曜日で時間がとれたので、思い切って夫と久々のドライブ。どこへ行こうかと思ったのですが、震災以降一度も行けなかったいわき方面にしました。

夫は、愛知県の海辺育ち。たまに海を見に行かないと息がつまってしまいかねません。きょうは、少し浜通りの被災地をみたあと、小名浜港を通ってアクアマリン水族館を見学。

アクアマリンもだいぶ被災しましたが、頑張ってほぼ通常に近いところまで復旧。子どもたちの夏休み前に再オープンしました。

入り口前にはがれきが゙積み上げられあるのがみえました。案内の看板もひしゃげて。信号もまだ電気がつながっていませんでした。震災・津波被害の爪跡は今もいたるところに・・・。

久々なので、2人でゆっくり見学していたら、たっぷり1時間半以上もかかり、ちょうど夕方の閉館近くになっていました。

【きれいな何種類もの金魚たちが出迎えてくれて。観ているだけで心がなごんできます】

【震災後の4/7に生まれたゴマアザラシの子ども。名前は「きぼう」です】

【アクアマリンを象徴する親潮と黒潮がぶつかる小名浜沖の潮の目をイメージ。このガラスも震災で壊れ、親潮と黒潮の魚たちが一緒に床一面に散らばっていたそうです】

   

 

 

 

【駐車場近くの3・11震災のモニュメント。アクアマリン周辺の被災がれきと、暑さ6cmもある潮の目の被災ガラス板】

今、小名浜港など福島県の浜通りの海は原発放射能汚染で、海岸で遊ぶことも、海産物をとることもできなくなったので、逆にアクアマリンは子どもにとっても大人にとっても生きた海洋生物がみられる貴重な施設に。

福島の県議選、11/20投票に決定! /東電、原発、放射能汚染とたたかい、県民の命とくらし守る共産党県議団を大きく伸ばして!!

  

【9日付の福島民友1面】

 8日、県選菅が県議選の日程を発表しました。通常より1日だけ伸ばし11/10告示、11/20投票です。ついに決定です。

3・11の大震災・原発事故から県民のくらしは一変しました。半年たっても原発事故の収束の方向はみえず、地震による被害の復旧作業もすすんでいません。

東電は、賠償問題でも、放射能汚染除去についても、避難者支援でも国の後ろに隠れ、前面に立って救済する姿勢はみえません。重大事故を引き起こした責任をきちんと果すべきです。政府も強く東電に促すと同時に、自らも対策をとるべきです。

これまでも東電や原発とたたかってきました。被災県民の救済活動にも全国の支援も頂いて、時には心が折れそうな時もありましたが、多くみなさまに支えられながら救援活動にも力を尽くしてきました。

復旧も復興もまだまだこれからです。少しでも被災者のみなさんの苦しみに寄り添いながら、原発ゼロをめざし、安心して福島県に戻ってこられるように、また安心して住み続けられる福島県にするために、あらゆることを提案して頑張っていきたいと思います。

交渉会派の5人以上の県議団となって福島県民の命とくらし守って頑張ります。共産党を大きく伸ばしていただけますよう、県内はもとより全国からのご支援をどうぞよろしくお願い致します。

郡山市議選で3人全員当選! 全国からのご支援に感謝 ! 引き続き11月に私の県議選です!

被災地郡山市で9/4日投票で行なわれた郡山市議選は、お陰様で3人全員当選しました! 全国から物心両面にわたるご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

橋本のりゆき、高橋よしはる、岩崎まりこの3人の市議団は、市民アンケート結果をもとに「地震や原発事故の放射能汚染による被害から、子どもたちや市民が安心して住み続けられる郡山を取り戻そう」と」訴え続け、

市内全域での除染対策、内部被ばくの健康調査や食品分析機器の大幅な導入、すべての教室にクーラー設置を。また、地震による一部損壊家屋にも市独自の補助制度を実現めざすと公約。

市民からは「除染を早くやってほしい」、「公園を子どもたちが安心して遊べるようにしてほしい」、「東電に賠償を求められるのは共産党だけ」と大きな関心と共感を寄せていただいた結果だと思います。

隣接する須賀川市議選でも橋本けんじ、丸本ゆみこ、2人の市議も当選しました。

そして、引き続き私の県議選です。報道では、来たる11/20投票が有力のようです。