23日~24日は、県議団5人で双葉町が役場ごと避難している埼玉県加須市に行ってきました。
地元の党組織と佐伯党市議は、双葉町が加須市に避難した直後からずっと支援してくれています。23日の夜は、民間の借り上げ住宅の空きを紹介してくれて、年末から移り住んだばかりの双葉住民の方々と懇談しました。
原発が爆発した時やその後の大変な避難の実態、今の生活や思いや要望等を具体的にお聞きしているうちに、時間はあっというまにすぎていきました。
24日は、双葉町の仮役場がある旧騎西高校を訪ねました。地元の共産党の佐伯市議とともに、井戸川克隆町長、井上一芳副町長らと懇談。
【双葉町役場が避難している旧騎西(きさい)高校】
福島で会議があるという井戸川町長は、30分時間をとっていただき県議団と懇談。
加須市に避難した理由については、原発の放射能から町民を守るため、特に子どもたちを守るためにできるだけ遠くに避難させたいとの思いからだったとのこと。
この騎西高校に避難してきた町民は、当初1,300人いたそうです。その後、若い人たちは職を求めてアパートなど民間借り上げ住宅に移ったそうで、ここには現在お年寄りなど300~400人が同校内の教室の避難所で暮らしています。
井上副町長からも、地図をみせていただきながら避難誘導した当時のようすを伺いました。
爆発した時は、白い綿ぼこりのようなものが降ってきて、あたり一面数分間は何も見えない状態だったとも。井戸川町長自身も被曝したことはまちがいないといっていました。
このあと、避難者が入所している校舎内を案内していただき、住民の方から直接お話を伺いました。
【弁護士さんから説明を聞いて、双葉町独自の賠償請求用紙に記入しようとしていた町民の方にその用紙をみせて頂いて】
ある女性の方は、原発損害賠償のことを考えると夜なかなか眠れないと言っていました。双葉町は、東電が策定した請求書では難しすぎるため、双葉町は弁護士に依頼し、簡易な請求書を作成し請求していること。弁護士による説明会を6回開いていますが、それでも慣れない請求書類です。
【お風呂場と洗濯室の近くにある廊下で、ちょうど陽だまりで休んでいた女性のみなさんたちと】
5階の調子室では、埼玉県立加須げんきプラザの応援で、デイサービスの一貫として手づくりうどんの料理教室。楽しそうで、笑い声に包まれていました。
原発事故による悲劇と避難は今後も続きます。今後、今回の山形に続く県外視察の調査をふまえ、県政でも国政でも生かしていかねばと思いつつ加須市をあとにしました。
【埼玉県加須駅。大宮から在来線で北の久喜駅へ行き、そこからまた乗り換えて】