宮川県議が一般質問/知事に発足したばかりの原子力規制員会は真の独立機関といえないと指摘

きょうと明日は、一般質問です。宮川県議がきょう登壇し、知事に対し9/19に発足した「原子力規制委員会」について、真に規制される体制となるよう国に求めるべきと質しました。

原子力規制委員会は、環境省の「外局」に設置されたが、もともと環境省は原子力は環境によいなどとして原子力を推進してきた省庁なのです。宮川県議は、知事は規制委員会が経産省から独立したことを評価しているが、今回の規制委員会は、経済産業省原子力安全保安院の職員が横滑りした組織であることも指摘し、知事の認識を質したものです。

また、国の除染や賠償打ち切り、被災者支援打ち切りの根拠となっている昨年12/16に出した「原発事故収束」宣言を国へ撤回を求めるべきと県を質しました。「事故収束に向けた1つの通過点にすぎない」とこの認識は一致していますが、「撤回」の2文字だけは何度質しても口にしません。知事の姿勢が反映しているのではないでしょうか。

この他、宮川県議は原発労働者の労働安全対策、放射能被害で不足している医療・福祉分野での職員確保についても提言。また、いわき市へ2万3,000人もの避難している実態を述べ、住宅や財政支援などを求めました。漁業問題もとりあげました。

郡山の桑野協立病院がゲート型の内部被曝検査装置を導入

9/4、NHKテレビの夕方のニュースで郡山の桑野協立病院が内部被曝検査装置を導入したことが放映されました。

この器械は、アメリカ製で約2000万円とのこと。ホールボディカウンターではなく、簡易に体内の放射線量を測れるというもので、空港にあるゲート型の検査機器と同じで、3秒程度立っていれば検査できるものです。

これまで難しいとされてきた子どもも検査できるようになりますが、きちんと詳しい検査が必要な方は郡山市などが設置したホールボディカウンターで検査することを勧めているとのこと。

 坪井正夫院長は、昨年11月福大の清水教授らのチェルノブイリ調査団の一員として参加。医師としては、坪井院長1人だけです。坪井院長は、帰国後の報告会で、郡山で避難せずに住み続けることを決意し、病院内に「くわの核害研究所」を立ち上げました。

そして、まず食費食品分析器を導入し、この度ようやく簡便な方法で検査できる方法としてこの検査装置を導入したものです。このゲート型のタイプは全国初とのこと。低線量被曝を受け続けている組合員はじめ市民への測定を徹底してやっていくことにした、その決意があらためて伝わってきました。

きょう10/1から、全国初の福島県内の18歳までの子ども医療費が無料に

10月に入りました。きょうから県は、18歳までの県内すべての子どもの医療費を無料にします。これは、私たち共産党県議団が昨年の県議選の公約に掲げ、運動をすすめてきたものです。

知事は、こうした動き県議選の最終版に国の制度として行うよう求め、その後野田首相にも直接要望しました。しかし、国は「福島の子どもだけを特別扱いしなければならないのか」とか「制度的に矛盾が生じる」などとして実施は困難とし、翌年の2月、県に正式に回答しました。

私は、改選後初の12月県議会の代表質問で、「国がやらないのであれば、県が独自で実施すべき」と求めました。2月県議会の代表質問で宮川県議が再度県独自の実施を迫りました。そして、ついに知事が「18歳以下の県民の医療費無料化」を決断したと表明したのです。

そして、6月県議会では、10月以降の無料実施分としての補正予算約13億円を計上しました。多くの県民からも大変喜ばれていますが、今後は財源の恒久的にに確保するためにも国の財政支援画が欠かせません。

阿部裕美子県議が代表質問/即時「原発ゼロ」を本県から発信を、被災者支援を

27日~28は代表質問が行なわれ、阿部県議は27日登壇。原発ゼロを本県から発信せよと知事に迫りました。また、県原発損害賠償協議会が3月以降開かれていないことを指摘し、再開を求めました。

 知事は、本県の10基廃炉を明言しつつも、国の新しいエネルギーをみていくと答弁。しかし、民主党政権は2030年代までに原発ゼロをめざすというもの。あと30年近くもたってからでは遅い。

「原発は「即時ゼロ」が国民多数の声です。これでは事実上の棚上げであり、また建設中の原発は工事を再開させることもとんでもありません。阿部県議もこの点を知事に質したものの、同じ答弁をくり返すのみでした。

また、阿部県議は、会津若松市へ避難した県内の自主避難者の子どもが、住民票を移していないことを理由に公立の学校に転入が認められず、やむをえず私立に通学している事例について県の考えを質しましたが、県教委も市教委も国からの通達をタテに、柔軟対応をしようとしていません。

しかし、こんな事例が起きるのも原発事故特有の問題です。子どもたちの教育を受ける権利や学びの場を保障するのは、教育委員会の役割のはず。国にもっと県民の立場でモノをいうべきだと思いますが。

ところで、医療と連携した福祉避難所の設置を増やすことについては、県が検討していくと前向きの答弁でした。

9月県議会開会/知事が「点字採用試験の導入」をこの秋の県職員採用試験からと表明/県婦協、所得税法56条の廃止を求める意見書を議長へ提出

9/25に開会した9月県議会は、10/11までの17日間の日程で行なわれます。

知事は、議案の提案理由に先立ち、所信の一端を述べ、その中で6月定例県議会で私が一般質問で取り上げ、請願も全会一致で採択された「県職員採用試験の点字試験導入」に関して、この秋の身障者採用試験でから施する実施すると表明しました。

さっそく、一緒に県に何度も働きかけてきた県視覚障がい者協会の戸田会長からも喜びのメールが届きました。

東北で実施していないのは、福島県だけでした。この点字試験導入が、視覚障がい者の県内の公務員採用に新たな門戸を開くことになり、私のブログでも紹介者した本県出身の福祉を学んでいる学生さんが、ぜひ頑張って採用試験に合格し、本県の遅れている障がい者支援の分野で活躍してくれることを心から願っています。

 ところで、25日の開会日は、請願・意見書提出の締め切り日。午前11時議長へ、民商婦人部協議会(県婦協)が、「所得税法第56条廃止」を求める意見書を2,800人余の署名を添えて提出しました。

わが党県議団が紹介議員になった請願・意見書は、原発ゼロ、消費税増税中止、TPP反対、オスプレイ中止、原発賠償金の非課税、医療費減免の継続、ふくしまっ子体験活動応援の拡充など13本です。今回は、新しく結成されたばかりの福島みどりの風(2人会派)が、多くの共同提案者になってくれました。

また、社会保険二本松病院の医師(産婦人科)の確保等を求める意見書と、聴覚障害者協会からの「聴覚障害者情報提供施設の早期設立を求める請願」の2つは、全会派が紹介議員になりました。今後、常任委員会の審査を経て11日の最終本会議にかけられます。

木質バイオマス発電のグリーン発電会津を視察、会津若松地方森林組合を訪問

20日、再生可能エネルギーとして、今年7月に操業開始した「(株)グリーン発電会津」を党会津若松市議の斎藤基雄議員とともに訪問しました。

グリーン発電会津では笹島常務から説明を受け、また同席された会津若松市の企業立地推進課の佐藤課長・白岩主幹からも説明を受けました。

グリーン発電会津は震災前年の2010年2月に設立。共同出資社の(株)ノーリン(喜多方)は、地球温暖化対策のためにと、山林の木材の伐採から処分までを行ない、林業から出る木くずなどの産廃を、中間処理施設で処理しています。そのノーリンで加工した木質チップを燃やして発電しています。

バイオマス発電は他県にもありますが、グリーン発電会津は建設廃材は使いません。山林の木材だけを利用するというのが特徴で、こういう木質バイオ発電は全国初だそうです。今年7月から国が導入した木質バイオマス発電の認定第1号にもなりました。

発電規模は約5000kW(約10,000世帯分)、燃料使用量は年間約6万トン(木質チップ、水分40%ベースで)。従業員はこの間3人増えて17人。24時間稼動なので事務職2人を除く作業員は三交代制です。この発電規模に必要な山林従事者として、60人程度の雇用を見込んでいるそうです。

会津若松市は、森林の保全・育成は林業経営にも寄与し、雇用創出につながるとして市の河東工業団地に誘致を決めたとのこと。5区画のうちの1つに、敷地面積は1万立方㍍。

私は、木材チップやそれを燃やした焼却灰、煙突から出ている煙の放射能セシウムの濃度や検査体制などについて質問。

木材チップの加工時に樹皮(バーク)を剥いでしまい、白木をチップにしていること。ただ、このバークの処理に困っているようです。その木材も会津地方を中心に周辺の中通や白河方面からの木材供給を検討しているようです。

今後、放射能の影響が少なく県内産の間伐材の安定的な供給体制を、どうつくっていくのかが課題だと思いました。

敷地の入り口で搬入車ごと測定したあと、燃料のチップとその焼却灰も測定しているとのこと。排煙は集塵バグフィルターをつけています。今のところ検査結果はNDで、最高で50ベクレル、通常でも30~40ベクレルとのこと。

この後、会津地方森林組合を訪問し、穴澤代表組合長と渡部参事と懇談しました。会津地方森林組合は、木材加工所をもっているところが中通や浜通りと比べて少ないこと。

間伐材を切り出す作業員の確保については、新たな体制をつくる必要があるので雇用拡大につながると期待もあるようです。

一方、木材の供給体制については、森林組合だけが請負うわけでないので、他の団体や事業所との協議が必要で、その体制構築はこれからとのこと。

また、間伐材だけに補助はあっても、戦後植林した50年以上たつ成木の利用についても悩んでいること。伐採したあとの新しい苗木を植える必要があるが、苗木代が嵩むので育成がすすまないのが現状だと訴えられました。

間伐材など木材利用の木質バイオマス発電が、森林関係者とと共に山の保全・育成、雇用拡大にもつながっていけば、地域循環型の経済に役立つと思いました。

 

 

 

 

民商婦人部が所得税法56条廃止の署名集約/子どもチームが甲状腺がん検診結果に関し県へ要望書

19日、民商婦人部が以前から求めている所得税法第56条を廃止し、家族の働き分を税法上からもひいては社会的にも認めてほしいと署名を集め、今議会に国への意見書提出を求める請願を出す予定で各会派へ要請にこられました。

これをまだ残してしている日本は、女性の人権・権利という面からみても後進国です。国会でも大門みきし参議院議員が取り上げ、財務大臣も前向きの答弁をしていますが、まだ具体化はみられません。

また、新婦人県本部は、この間子ども甲状腺がん検診で、1人甲状腺がん患者がいたと報道された問題で、県の担当部と懇談し、丁寧な説明会の開催などを求め要望書を提出しました。

懇談では、甲状腺がんそのものについての詳しい説明を受けたり、母親たちとの率直な疑問にも答えてもらうなどする中で、だいぶ不安がやわらいだように思います。

甲状腺がんそのものは、一般的には大変進行がおそいがんだと私もあらためて認識しましした。また、今回発見された甲状線がん患者も、放射能との因果関係は解明されていませんが、通常ではみつけることができないくらいのものだったようです。

県立医大での検査機器はかなり精度の高いものだそうですが、今後は県内の医療機関でも検査できるよう、検査医の養成を実施していること、窓口での説明も丁寧に行なうようしていくと回答がありました。

来年度予算要望などをお聴きする県内各団体からの要望聴取会開催

18~19日は、各会派へ来年度予算編成に関する要望をお聴きする会を開催しました。毎年この時期に開いています。共産党県議団には、医療・福祉・教育関係団体、農林水産業団体など、17団体から要望を受けました。また、夕方には民主団体とも懇談しました。

今回は、昨年の大震災・原発事故を受けて深刻な事態になっていることが、どの団体からも訴えられました。

特に社会的弱者といわれる障がい者、高齢者、子どもたちへの深刻な影響が共通しています。

元々福島県は、震災前から医療・福祉・教育が全国と比べても遅れた県でした。そこへ、 放射能被害も加わり、医師も看護師も介護職員も減少が続いているのです。

当然、精神疾患をもつ障がい者も腎臓病などの内部障がい者も難病患者も困難を極めました。社会福祉協議会においても同様です。

教育分野においても、公立・私学を問わず除染への要望は依然として続いていますし、子どもも教員もバーンアウトするくらいの疲れがたまっているなど、大変な状況に置かれています。教員の異動先に空き住宅がないため、遠くから通勤せざるをえない実態も報告されました。

いずれも、これら社会的弱者の命をどう守っていく体制をつくるかを最優先にした防災計画の見直しと県の予算編成を医療・福祉・教育を最優先に編成する「福祉型広域自治体」のモデルを本県からつくっていく決意が県にも議会にも求められていると思います。

それは、産業面でも同じです。第1次産業の農業・林業・水産業をどう振興させていくのか、中小企業をどう支援していくのか。

原発事故を起こした東京電力と国に対しては、廃炉、賠償、健康支援を含め長期にわたる責任を「オール福島」で求め続けていかねばなりません。

このたたかいをもう一度構築し直し、県内・全国のあらゆる分野・団体が力を合わせていく必要を感じた2日間でした。ご一緒に頑張りましょう。知事にはぜひ、その先頭に立っていただきたいと思います。

東北ブロックの平和委員会の会議で、福島原発事故の報告

17日、郡山で県医労連の定期大会で挨拶したあと、福島市で開かれた東北ブロック平和委員会の学習交流会に参加し、福島原発事故の被災実態を報告させていただきました。(私も郡山平和委員会の会委員です)


郡山への支援・救援に何度もかけつけてくれた秋田平和委員会の伊藤さんからのご案内でした。(写真は、秋田での活動を報告する伊藤さん)

大震災・原発事故から1年半/当時、避難所になった県農業センターで炊き出しボランティア活動が紹介されて

 【昨年の大震災・原発事故当時、双葉郡避難者であふれた県農業センター。右後方は安達太良山】

9・11で大震災・原発事故からちょうど1年半です。先日郡山市北のはずれにある県農業センターへ行った際に、ホールの展示コーナーに昨年避難所になった同センターのボランティア支援が写真で紹介されていました。

よくみると、真ん中の写真は郡山復興共同センターでおこなった炊き出しのようすで、私がとん汁をよそっているところです。びっくりしました。

あの時、ここへの避難者は約100人。浪江町や双葉町、富岡町、大熊町などからの避難者でした。原発からわずか2~3kmに住んでいた人もいて、突然避難するように言われ、ヘリで郡山へ。その時、スクリーニング検査を受けさせられ、来ていた服も全部脱がされ、服が手元に戻ってきたのは2~3日後だったとのこと。スクリーニングが終わるまで寒くて大変だったと言われたのを思いだしました。

県農業センターは、県立高校の体育館などとは違って施設も新しく、職員の宿泊所もあるせいか布団上下が最初から用意され、暖房もたいて部屋はあたたかく、またお風呂も交代で使用できました。

ただ、食事はあたたかいものがなく、昼間だけ近所の方が炊き出しをしてくれたという状況でした。

私たち共産党も加わる郡山復興共同センターは、夕飯時にせめてあたたかい汁物をと、時々でしたがとん汁をつくって届けてきました。それがわずか1年半前のことです。

ところで、県農業センターへ行く途中の旧国道4号線沿いは、松尾芭蕉が通った風情のある松並木があります。真っ青に晴れ上がった雲一つない空と松の木とコントラストに、心も晴れやかになりました。