11日、県議団5人で、南相馬市の小高区を現地調査しました。桜井市長とも懇談し、午後は仮設住宅で小高区の避難住民と懇談しました。いずれも、渡部寛一党市議の案内で調査を行ない、荒木千恵子市議も合流しました。
南相馬市は、原発事故で原発から20キロ、30キロの同心円で3つに分断されました。小高区は、警戒区域の立ち入り禁止区域でしたが、今年4/16に解除となり宿泊以外は自由に入れるようになったばかりです。
小高区に入ると、ほとんど1年前の大災害を受けたままの風景が続きます。浜辺の近くは、津波被害の遺体捜索のために、がれきなどは片付けられて、ところどころに山積みされて仮置きされていました。
しかし、津波被害がなかった内陸のJR常磐線小高駅周辺の商店街は、地震による被害がひどく、倒壊した家屋が昨年3・11の大震災当時に、タイムスリップさせられた思いです。
田んぼは、津波がおしよせてまるで池のようになり、1年以上も水の中です。塩害の被害もあります。県が設置したばかりの新しい大きなポンプは津波でことごとく破壊されてしまったために、仮の小さいポンプで排水しているので、時間がかかます。早く大きな排水ポンプの設置をと要望中とのこと。
渡部寛一市議の自宅も小高区の警戒区域内にあります。みんなで訪問してみました。幸い高台の集落にあったので被害はなかったようですが、農家民宿「ほほえみの宿」の看板が寂しそうでした。
周辺には草が生え、水道などライフラインが壊れたままなのでトイレにも行けず、生活できる状態になっていません。
仮設住宅で小高のみなさんと懇談した時も、「家は大丈夫と思って中に入ったら、床がズブズブだった。1年以上も住んでいなかったから朽ちてしまった」。
「津波で家が流されて戻る家がない。年金ぐらしでは家も建てられない。復興住宅など早くつくってもらえないか」、「家の中にハクビシンが入ったようで、荒らされていてがっかりした」など、次々と実状が・・・・。
でも、ここで私たちが定宿にしている福島市のホテルに避難していた後藤さんが、チラシをみてきたといって懇談会にかけつけてくれました。なつかしい再会でした。
【仮設住宅集会所での懇談を終えて避難者、渡部市議、荒木市議らと】
桜井市長の話では、地震によって上水道も下水道も配管がこわれている可能性があるので、復旧は早い原町区でも6~7月までかかる見込みで、小高区はそのあとになるとのこと。ライフラインをまず復旧しないことには戻れません。
避難解除されても課題は山積みです。除染もまだまだこれからです。国の委託で除染作業をしたという人は、いくらやっても線量がなかなか下がらない。それは、除染するとき、水が出ないので近くの川の水を汲んできて作業するからだと言います。
これには一同驚きました。しかも、警戒区域などは大手ゼネコンが請負っています。除染費用を莫大にかけながら、こんなズサンなやり方とは・・・。