中田町敬老会、10周年を迎えた海老根和紙「秋蛍」スタート/明日夕方4時から柳橋歌舞伎上演

15日午前中は、中田町の敬老を祝う会が開かれ、来賓として出席。私の父も88歳の米寿のお祝いを受けました。中田町の75歳以上の高齢者は114人、そのうち米寿の方は36人です。

         【米寿を迎えた36人へのお祝いの品が、代表の方へ】

小中生による作文朗読、柳橋保育所の子どもたちによる「太刀舞い」と今年は新しく「東京ブギウギ」のかわいいダンスが加わり、そしてベテランのみなさんによる日本舞踊などが披露され、楽しませていただきました。

【米寿のお祝いを受けた父と】

                ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

夕方5時半からは、海老根地区ののオープン式へ。350年前から地元で生産してきた海老根手漉き和紙。後継者が残りわずかという事態になり海老根和紙保存会がスタートしたのは98年。

その後、稲穂が実る田んぼのあぜ道に和紙の灯篭を並べ、~海老根長月宵あかり「秋蛍」~としてスタートして今年10周年を迎えました。

きょう明日の2日間、夕方6時~9時開催です。県道小野郡山線沿いの海老根地区は、郡山駅から小野町方面東へ約10kmのところにあります。

また、あす夕方4時~8時は柳橋歌舞伎の上演です。明日は、柳橋歌舞伎と秋蛍の両方を楽しめますので、中田町へどうぞおいで下さい。

 

 【夕闇迫る中、点灯式】

【秋蛍の文字が、ろうそくのゆらめきとともに浮かび上がって】

 【地元の海老根小、宮城小中学校、御舘小中学校、大島小、一般に加え、今年はJA本店・各支店などから、今年は700点を超える作品に】

 

【地元の女性たちによる手づくりのとん汁ときゅうりのつけものがふるまわれて。おしかったです】

 

大震災・原発事故から1年半/当時、避難所になった県農業センターで炊き出しボランティア活動が紹介されて

 【昨年の大震災・原発事故当時、双葉郡避難者であふれた県農業センター。右後方は安達太良山】

9・11で大震災・原発事故からちょうど1年半です。先日郡山市北のはずれにある県農業センターへ行った際に、ホールの展示コーナーに昨年避難所になった同センターのボランティア支援が写真で紹介されていました。

よくみると、真ん中の写真は郡山復興共同センターでおこなった炊き出しのようすで、私がとん汁をよそっているところです。びっくりしました。

あの時、ここへの避難者は約100人。浪江町や双葉町、富岡町、大熊町などからの避難者でした。原発からわずか2~3kmに住んでいた人もいて、突然避難するように言われ、ヘリで郡山へ。その時、スクリーニング検査を受けさせられ、来ていた服も全部脱がされ、服が手元に戻ってきたのは2~3日後だったとのこと。スクリーニングが終わるまで寒くて大変だったと言われたのを思いだしました。

県農業センターは、県立高校の体育館などとは違って施設も新しく、職員の宿泊所もあるせいか布団上下が最初から用意され、暖房もたいて部屋はあたたかく、またお風呂も交代で使用できました。

ただ、食事はあたたかいものがなく、昼間だけ近所の方が炊き出しをしてくれたという状況でした。

私たち共産党も加わる郡山復興共同センターは、夕飯時にせめてあたたかい汁物をと、時々でしたがとん汁をつくって届けてきました。それがわずか1年半前のことです。

ところで、県農業センターへ行く途中の旧国道4号線沿いは、松尾芭蕉が通った風情のある松並木があります。真っ青に晴れ上がった雲一つない空と松の木とコントラストに、心も晴れやかになりました。