桑野協立病院の医療生協後援会が、私を応援する会を開いて頂き、県政報告をしました!
市内の台風被害の現状と支援の課題を述べたあと、県政の問題点などを報告しました。
浸水被害を受けた水門町の神山選挙事務所で、赤間さんが椅子を拭いたり片付けをしていました。ありがとうございます!
郡山市は、ようやく15日から罹災証明書の窓口を開設。各行政センターも受付けます。
被災家屋の写真を添付し、罹災証明書の手続きを済ませたかどうかを、私も尋ねるようにしています。
水門町の県道両側は、水没した家財などを運び出した災害ごみでいっぱい。市の清掃センターが2ヶ所ありますが、阿武隈川流域にあるクリーンセンターが水害の影響を受けたため回収のメドが立っていません。
郡山市の泥出しボランティアがやってきました。聞けば、市内に住む大学生たちが多いそうです!
国道4号線に近い若葉町も、逢瀬川から越水し大きな浸水被害を受けました。夕方にまわってみると、住宅街はごみの山だらけ。
匂いもするし、運び出す場所もない。家の片付けが捨てる場所がなく進まない、ぜひこのことを市に要望してほしいと。そして早く復旧して普通の暮らしをしたいとも。
また、この地域にある赤木小学校も被災したので、子どもたちは3ヶ所に分散通学になるようです。
16日夕方、党郡山・安達地区委が避難所への豚汁の炊き出しをしました。今夜は、浸水被害した上行合地区の方々がいる高瀬小学校体育館です。
温かい豚汁に涙が出ると喜んで頂きました。最初に避難した12日夜は、アルミパック入りのごはんだけ。味もほとんどなくて涙が出る思いだったと。
ちょうど、品川市長も避難者を回っていたので、市長からも温かい食事やふとんの提供、また公営住宅や借り上げ住宅の提供などを、県に要望あげてほしいと求めました。
別の方は、ここに来る前に帝京安積高校に避難したが、そこが夜中に1階まで浸水。電気系統がダメになり、とても寒かった。朝に自衛隊のボートで救出され、ここに来たとのこと。着替えがないが、きょうはベニマルから衣類の提供があったそうです。
帰り際に、声をかけられて、聞けば私が避難所回りをした時に会っている富岡町から原発避難した女性でした。郡山に家を建てたが、そこが浸水被害にあったと。なんと、重ねての被災に心が痛みます。
谷田川の決壊現場です。この少し下流で阿武隈川に合流します。
谷田川の決壊によって、田村町下行合地区が広い範囲な浸水被害になりました。
反対側の郡山中央工業団地にある堤防も決壊!こちらは、あとで見ようと思います。工業団地もまだ、操業開始できない工場が多数。
県中建設事務所へ、谷田川の決壊への応急対応と、上流の河川改修。幹線県道の早期復旧を求め要望書を提出。高橋よしはる市議が同行しました。
このあと、浸水被害した水門町や下行合地区で聞き取り調査。お天気’がよく、みな泥だらけの家財を外に出す作業をしていました。災害ごみ収集と、土ぼこりがひどい。散水車をの要望が。
早速、県中建設事務所へ散水車の出動を電話で追加要望しました。自民党にも要望したが来てくれたのは、共産党の神山さんが初めてだ、散水車を頼むと。
15日、党福島県委員会台風19号災害対策本部として、知事へ緊急要望しました。
この間、国会議員や県議、市町村議員などが現地調査や避難者からの聞き取りをした内容をまとめたものです。
きょうは、県危機管理部の菅野政策監が応対しました。本部長の町田県委員長が要望書を手渡しました。
私からは、阿武隈川流域の越水被害と、内水面被害は8・5水害より大きかったこと。また、1次避難所の対応が温かい食事や下着や衣類、入浴などの提供が十分になされていない。
東日本大震災の教訓が生かされていないと感じる。県の出先機関を含め市町村を支援すべき。県職員の派遣も検討するよう求めました。
須賀川の丸本さんと伊達の大橋さんからは、農業被害と果樹被害への支援が必要と要請。いわき市では、浄水場が水没し断水が続いており、復旧のメドが立っていません。
③避難所は、水門町の冠水地域の住民が多く避難している芳賀地域公民館を訪問。
避難所はとしての温かい食事の提供は、夕べ大町の青年ボランティアのみなさんが温かいすいとん汁の炊き出しをしてくれたそうで、ホッとした様子。でも、毎日ではないようです。
下着などの着替え、毛布だけでなく布団や入浴サービス、今後の住まいの借家住居の確保、浸水した家の消毒をなどの要望がありました。
このあと、岡田市議、高橋よしはる市議も同行し、市役所でこれらの要望を伝えると共に、国の激甚指定や県としても住まいや職員の派遣などを含め、積極的に行うよう共産党としても求めて行くことを伝えました。
市は、まだ浸水被害や越水地域があり、まだ全体の被害をつかみきれないでいる様子でした。
③田村町下行合の集落も水浸し。消防団や住民の方が集まっていました。
県議の神山です、と声をかけると町内会長さんでした。「神山さん、ちょうど良かった」と、聞けばこの先に水没した家に取り残された人がいる。1人は消防団が首まで浸かりながら救助したが、その先まで行けない。消防本部に救助をお願いしてくれないかとのこと。
消防団の方に聞いたら連絡はしていないとのことなので、私のケータイから電話。しかし、消防本部は今すぐに行けないので安全を確保できるのであれば待ってほしいとの返事。会長によれば電話で連絡とれるから大丈夫と。
このあと、通りかかったミニパトカーの警察官にも、事情を話ました。実は、この写真の、奥あたりで谷田川が決壊したとの情報ももらいました。
13日の災害状況調査。①郡山市内の阿武隈川の東側、阿久津地区はご覧のように水浸し。ここは水田です。作業小屋には、稲刈りしたばかりの籾やコンバインが入っていたと。
この先には、水没した大型ビニールハウスが屋根のほんの一部しかみえない。8・5水害(1986年)より大きい。せっかく、キュウリやトマトが採れるようになったばかりとも。
②阿武隈川、郡山第4中学校近くの堤防から。水位は、少しひいたようですが、この近くの石渕地区は、阿武隈川が溢水し、住宅が浸水被害したそうです。
避難所になった芳賀地域公民館で話を伺うと、ほとんどが水門町と下河原地区の方。横塚地区の方も何世帯かいました。この避難所は、非常食のご飯のアルミパックが渡されただけ。ペットボトルの水は、職員も市に要請の連絡をとっているが、まだ届かないと。岡田市議に連絡しました。