エネ協でのプル受け入れの説明には、知事の出席を求めるべきと議長へ申し入れ

 26日、党県議団は、来週30日に開くエネルギー政策議員協議会へ、知事の出席を求めるよう佐藤憲保議長へ申し入れを行ないました。

 8/6、佐藤雄平知事は福島第一原発3号機でのプルサーマルの受け入れを正式に表明し、21日には長期保管のMOX燃料が初めて装荷されました。

 私たちは全協で知事の説明を求めるよう申し入れましたが、議長は、それをエネ協で行なうと代表者会議で決めました。問題は、正式受け入れの説明を知事が行なうのではなく、12日のエネ協理事会で、原子力担当の生活環境部長から説明する方向とされています。

 

 昨年12月のエネ協のまとめでは、「最終判断は議会ではなく知事がすべき」としていたはず(私たちは反対しましたが)。そうであれば、知事が自ら説明に立つのがスジというものです。それを担当部長まかせにするというのは、知事がこの問題から逃げているとしか写りません。

 また、議会側も問題です。そもそも説明の場など必要ないという意見が交渉会派から出たくらいですから、わが党以外は知事の受け入れをスイスイと認めていくだけです。プルサーマルは何の問題もないとする他党の県議の姿勢は、いずれ選挙で県民から問われることになるでしょう。

 ところで、昨日の報道によれば、1F3で原発労働者が作業中に放射線を浴び、体内にも取り込んだようです。由々しき事故です。

 この事故は、MOX燃料が装荷されたあとです。県は労働者被曝に厳しい態度で臨み、原因と対策を徹底するよう東電と国に強く求めるべきです。

須賀川の降ひょう被害で県の支援を要望

 25日は、須賀川の党市議団の橋本市議と丸本市議と私たち県議団の連名で、須賀川地域の降ひょう被害への対策を県へ要望しました。応対したのは、県農水部長、技監、政策監ら県農水部の3役です。

 降ひょう被害は7月下旬でした。今回は広範囲に降ったことから過去最高の3億円をこえる被害額となりました。もも・きゅうり・りんご・なしなどに被害がでました。

 県の補助は3/1(残り市3/1、農家3/1)しかないので、以前から私たちが主張しているように、この際2/1へ引き上げてはどうかと私も質しました。一方、局地的・限定的な災害に対しても補助対象基準の引き下げをと求めた点については、今後研究してみたいと前向きな答えでした。

 丸本由美子市議が農家の声として紹介したのは、春先に買い求めた肥料や資材代の支払いが、これから秋の収穫後となっているのでその支払いに困ること。農家の再生産につながるよう県の支援がほしいと述べたので、私からもぜひ検討してほしいと強調しました。

法務局の二本松と須賀川出張所の統廃合やめ、現状維持をと

 24日、二本松と須賀川の法務局の主張所が福島と郡山に分割統合される動きを受けて、

 二本松の三保市長を始め、安達地方市町村会、岩瀬地方市町村会、石川地方町村会の首長、そして議長会の議長ら14名で県庁を訪れ、私たちの控室にも要請にも来室しました。

  要望書では、地域の地理的条件や利便性を損なうことになることと、オンラインサービスをすすめるといっても、パソコン操作ができるのまだ一部の住民に限られていることなどの理由をあげ、存続を求めています。

 私たちも同じ意見です。民主党政権になって、公務員改革、行政改革と称して、このような国の出先機関を統廃合する動きが強まっていますが、国民が求める方向とは逆ではないでしょうか。

9月県議会に向けて政調会

 23日、9月県議会に向けて、各部局から説明を聴取する政調会が開かれました。9月補正予算が災害関係予算の10億円を含め、全体で20億円を超える規模となる見込みです。

 また、9月県議会後の10月には県知事選挙も控えていますので、それをにらんでの新規メニューもいくつか目につきますが、なんといっても言っても原発・プルサーマルの正式受け入れを決めたことは、9月県議会の大きな焦点です。

 何しろ、前知事時代に積み上げた核燃料サイクルを含めた原発に対する県自身の姿勢を180度転換するのですから。

母との突然の別れ

 お盆休みは13~16日まで夫の実家に行ってきました。夫の母が心臓の手術をしたばかりだったので、義母のようす伺いも兼ねてでした。

 ところが、16日の夕方に帰宅予定だったのに、この日の朝、長野県での宿泊先を出発したばかりのところに妹夫婦から連絡が入り、もう母がもうだめかもしれないとのこと。死亡は朝6時頃とのことでした。これは、まったく誰も予想していなかったことでした。

 母は、血圧が少し高かったので、定期的に病院にも通っていましたし、何より前日には親戚の人たちに手料理を振舞い、孫たちにも会っていたくらいでしたから・・・・。

 母は誰の手も煩わすことなく83歳で逝ってしまいました。人一倍気を使う母にしてみれば望みかなう死に方だったのかもしれません。

 でも一番がっかりしているのは父です。いつも何につけ母に世話をしてもらっていた父は、つい母の呼ぼうとして・・・、切なくなって泣いてしまうのです。

 子どもたちも帰ってしまい、今週から父と私たち夫婦の3人の暮らしが始まりました。母にまかせていた食事の支度が私に回ってきて少々大変です。でも、体調を崩さないように気をつけながら乗り切らなくてはと思っています。

 多くのみなさまにご心配をおかけしたり、お見送りまで頂きました。感謝の気持ちでいっぱいです。