県議会の災害対策本部会議で知事と県に質問                                                                       知事を先頭に、原発事故に起因する全ての補償を国と東電へ

 27日は、県議会の災害対策本部全議員会議が開催されました。全県議が集まっての会議は、震災・原発事故発生後初めてです。

 私たち共産党の持ち時間は10分間。宮川県議と5分間ずつ質問しました。私は、まず知事に東電事故は「人災」か、第一原発も第二原発も「廃炉」すべきと思うかと、知事の見解を質しました。知事は、「再稼動はありえない」と答弁。

 さらに、30km圏などで線引きをせず「原発による被害の全面補償を」と、4/3に国に要望した知事の姿勢を評価しました。

 その上で、県自身が避難所や義援金の支給が30km圏で支給を区別しているのは矛盾ではないかと質問。県は、義援金などを急ぎ対応するため、浜通りからの避難者から実施したと言い訳ともとれるような答弁でしたが、知事と同じ立場で対応するよう再度求めました。

 さらに、30kmで線引きするとなれば、今後の東電との賠償問題にもつながってくることを指摘。茨城県では今回、JCO事故時の賠償を反省して、県が窓口になって団体・個人とわず損害の取りまとめをし、県の協議会も立ち上げたことを紹介し、本県も同様の体制をとるよう求めました。

 須賀川市の農民が原発風評被害を苦に自殺、飯舘村でも全村民避難区域の指示が出たあと102歳の高齢者が自殺していることも述べて、県が線引きするとすれば知事の姿勢と矛盾することになると訴えると、他会派からも「そうだ」と応援の声がありました。

 県の窓口の設置については、他党からも質問もありました。また、国の損害賠償紛争審査会には、県民代表や農業者、事業所の代表者が入っていないため、国へ要請をと質問しましたが、今後の課題となりそうです。

 松本副知事は、この紛争審査会にメンバーとして出席することを表明し、28日の会議にも参加することを明らかにしました。

 

  宮川県議からも他党議員からも質問があったのは、自主的にすでに避難している人への民間アパートなどへの家賃補助についてです。

 宮川県議は、遡っての対応も求めましたが、県は5/1から対応するとの冷たい答弁を繰り返すばかり。他党からもブーイングがでました。

 国からも柔軟対応をという指示があるのに、土木部長の認識がそうなっていないようです。この点については、市町村からも公平に扱ってほしいという要望が出ているので、私たちも引き続き求めていきます。

 

 双葉町議会の要望を受けました。ようやく、私たちの控室も地震被害で時計塔の取り壊し工事のため使用できませんでしたが、ようやく昨日引越しし戻ってきたばかりです。

避難所訪問を続けて                                           あづま総合体育館へ、スクリーニングも体験

 このところ、県内の避難所の実態をあらためてつかもうと、避難所訪問を続けています。

 24日は、福島市のあづま総合体育館と郡山市内の県林業研究センター、26日には市内の県立郡山養護学校の避難所を訪ねました。

  あづま総合体育館では、秋元理事長に浪江の馬場町議とともに実状をうかがいました。避難住民は2次避難所などへの移動もあって浜通りから現在700名とのこと。それでも多数です。洗濯機もちょうどこの日から10台設置されたそうです。

  アリーナや体育館で住民の方に話を伺うと、困っているのはペットのこと。敷地内でペットのスペースをつくってほしい。20km圏内に残してきているペットもなんとか保護してほしい。子どもの夜勉強するスペースも要望され、さっそく秋元理事長に伝えて対応をお願いしました。喘息をもっている浪江町の高校生については、馬場町議が相談にのりました。

 入り口で、私も初めてスクリーニングを受けてみました。応援にきているのは、北電(北海道電力)社員でした。

【靴の裏までみます。通常の数値でした】【馬場議員もOKでした】

 郡山市内の林業研究センターには、私の親戚が富岡町から避難していました。彼の紹介で双民商の会員さんとも話ができましたが、県や町からの最新の情報がもっとほしいと要望されました。

 副所長さんから話を伺うと、浜通りから34名ほどの避難者がいること。食事は最初からあたたかいものを提供できているが、洗濯機は1台しかないこと。電源容量が小さいため台数を増やしたくともできない状態です。

 お風呂は近くのバーデンホテルやなりた温泉に入れるが、料金が無料だったり200円~300円とかかったりでまちまちであること。

 いずれにしても、義援金や見舞金の仮払いが避難している住民に未だ支払われていないため、手持ちのお金がないのは切実だと訴えられました。

  郡山養護学校では、校長先生から話を伺いました。養護学校では250人とのこと。ちょうど夕飯時で、ここは自衛隊のご飯と味噌汁の炊き出しがあるのであたたかい食事が提供されていました。この日は、竹の子ご飯。おかずは、自分たちで調理したキャベツなど野菜のあえものが添えられておいそうでした。ここも食事は、最初からあたたかいものが提供されていました。

 いわきの海岸沿いから避難した小学2年生の女の子がいる若いお母さんは、家は無事だったけれど周辺はみな津波被害を受けたので、自宅へ行くには大変な状態。小学校もダメになったので郡山市内の学校へ転校させた。でも、最初は学用品など何もないので困り、学校にお願いして用意してもらったそうです。葛尾村の方は20才の障害者抱えている方から話をうかがいました。