中田町の敬老会~高齢者1,105人、高齢化率21%、元気で長命者が多い中田町です。

14日、中田地区の敬老会が盛大に行なわれました。中田町の高齢者は1,105人、高齢化率は21%です。長命の方が多く、米寿の方は38人。 

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小中学生による作文発表もあり、ほろりとさせられたり笑わせられたりで、家庭内での祖父母とのあたたかい関係が伝わってきます。

中でも「料理が得意なおじいちゃんと編み物や縫い物が得意なおばあちゃん。そして私も絵がうまいとほめられると、二人の良いところが私にもつながっているんだと思います」には、思わずうなってしまいました。

 3世代同居が当たり前のわが農村部の中田町。ふと、浜通りの被災地の避難者のことが思われました。原発事故さえなかったら、あの地でもこの日常が普通に営まれていたはず。それを奪われた悲しさ、悔しさは図りしれません。

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  さて、米寿表彰者38人を代表して宗像和夫(ともお)さんが挨拶されました。宗像さんは、きょう上演される柳橋歌舞伎保存会の事務局長を長年務めてこられた方です。

江戸時代から300年以上も続く柳橋歌舞伎ですが、だんだん伴奏者の三味線、笛、うたいをする人がいなくなり途絶えそうになったのを、特定郵便局に務める傍ら、カセットテープに吹き込んで地元の方に歌舞伎の演技指導を続けてこられました。

地元の御舘中学校の生徒さんにも歌舞伎の指導をされてきました。私が99年に初当選した年の12月県議会で、このことを取り上げ、地元の伝統文化を県が支援すべきと質問し、県教委も学校の授業などを通してやっていきたい旨の答弁でした。

 御舘(みたて)中の生徒たちは、柳橋歌舞伎公演で地元の大人たちとは別の演目を受け持っています。また、女子生徒たちはを三味線を弾いて場を盛り上げます。

 きょうは、あいにくの台風接近で大雨です。午後3時からはせめて小止みになりますように、と願うばかりです。

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中田町海老根の伝統手漉き和紙「秋蛍」~幻想的な秋の田んぼ

 

14~15日の夜は、私の地元中田町海老根地区で開かれている「秋蛍」でお楽しみ下さい。「秋蛍」とは和紙でつくった行灯。地元の小中学生や大人のみなさんの作品をご覧下さい。

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今年は、著名な書道家千葉さんが、「秋蛍」の作品づくりから関わって頂いたそうで、また彼女の知り合いのドイツや静岡の方にもよびかけて頂き、その作品も展示されています。明日、こちらへその海外の方もこられる予定とのことですが、心配なのは天気。IMG_0046IMG_0059

 

 

海老根地区は、和紙の原料を切り出しから始まり,それを手漉きで和紙に仕上げる350年前からの技法で、丈夫な障子紙の生産地でした。

その伝統手漉き和紙を漉く方が、たった1人になってしまうというくらい危機的な状態になったのが10数年前でした。

 

これを地元で復活させようと保存会ができ、市内のグラフィックデザイナーの方も、自然豊かな稲穂が実る田んぼのあぜ道に和紙でつくった灯篭、「秋蛍」を並べてみたいと始まったものです。実行委員会が毎年開催し、今年で11回目。

IMG_0042今年は、オープンニングセレモニーで中学生たちによるハンドベルが演奏され、「ふるさと」、「見上げてごらん夜空の星を」の涼やかな音色が、夕闇迫る田んぼに響き渡りました。

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明日、中田町柳橋地区では午後3時から柳橋歌舞伎が上演されます。この2つを見る観光ツアーも組まれています。ただ、台風がちょうど明日あたり近づくかもしれない。何とか晴れてくれますように!

秋田のボランティアのみなさんと仮設住宅訪問、交流会

 DSC_0040秋田県のボランティアのみなさんと郡山復興支援センターのメンバーとで、ビッグパレット北側にある富岡町の仮設住宅を訪問。避難者との交流会も行ないました。

秋田県からやってきたのは、「福島原発交流ネットワーク」の4人です。ずっと支援にかけつけてくれている伊藤登喜男さんがよびかけ、今年5月に結成。福島の原発被災地をみて秋田に持ち帰り広げていくことを目的に掲げ、きょうは2回目です。昨日は、富岡町と楢葉町の被災地を視察されました。

 秋田では「さよなら原発県民アクション」の会で官邸前行動に呼応し、毎週金曜日に30分のデモ行進を続けているそうです。すでに50回目数えているとのこと、すごいことです。連帯を感じます。

きょうは、秋田の佐竹さん(今回の秋田参院選選挙区候補)と一緒に仮設住宅を訪問しました。

視覚障がい者夫婦と高校生との3人で生活している方は、高校生の子どもから自分の部屋がほしいといわれている。復興公営住宅は、親戚なども一緒に入居させてもらえないか。まったく知らない土地にようやく慣れたが、違う場所に移ればまた一から周辺を覚えなければならない。その時、周りに親戚が住んでいることは心強いとのこと。

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  避難中に津波で車ごと5キロほど流され、奇跡的に救助されたという30代の青年にもお会いしました。

 彼は、流されて橋げたにぶつかった時に脊髄を損傷。生涯車イス生活といわれたものの、自分でリハビリして杖で歩けるようになったという、衝撃的な体験をしてくれました。

 

今は、自分でできることで恩返しをと、各地の名所や花の写真を撮っているそうです。集会所入り口にも飾ってありました。

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交流会では、強制避難による「居住権」や「財産権」を奪われ、2年半もこうした状態に置かれ、憲法の権利が2度も侵害された。そのうえマスコミなどから帰りたいかとよく聞かれるが、無神経。帰りたくない人など誰もいないです」との意見に共感の拍手が。 

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また別の方は、東京オリンピック決定と汚染水対策問題について「福島のことが忘れられてしまう気がする。7年後のオリンピックと同様、避難している我々にも、この先どうなっていくのか、年次ごとにはっきり示してほしい」という方。まったく同感です。

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私は、「汚染水問題はコントロールされている」と安倍首相が『国際公約」』したのだから、その言葉どおり、国の責任で確実にやらせていきましょう」とよびかけました。

 

 

安倍首相~オリンピック総会で、「福島原発はコントロールされている」、「汚染水は完全にブロックされている」と発言。事実に反する発言に怒り!

img0249/7、安倍首相は、ブエノスアイレスで行なった国際オリンピック委員会総会で、2020年のオリンピック開催を東京へとの安倍首相の演説の福島原発の汚染水対策に関する発言で、県民から強い抗議の声があがっています。

私も、知人からこれに関するメールが早朝に届き、今朝のテレビニュースをみると、2020年のオリンピックが東京に決まったことに興奮しているようすや安倍首相の発言も直接聞きました。

首相の発言が、あまりにも実態と違っていることに、驚きと同時にあきれ、そして怒りが沸きました。また、この日会った人の誰もが、「テレビに向かって怒鳴りつけた」、「同じことを福島県に来て言ってみたら」などと、異口同音に怒っています。

 私たち福島は、国際事故の「レベル3」と国も認めた汚染水漏れが非常事態になっており、どうすれば海洋への流出を防げるかと頭を悩ませている毎日なのです。復興がますます遠のくばかりです。

それを、安倍首相はIOC総会で、「福島原発はコントロールされている」と演説し、海外の記者の質問対しても、「結論から言って全く問題ない。原発港湾内の0.3k㎡の範囲内で完全にブロックされている」などと述べたのです。また、「健康面については、今までも現在も将来も全く問題ないと約束する」とまで言いきりました。

福島原発事故を小さくみせ、お金も人も今度はオリンピック招致に向けてどんどん回していくでしょう。福島は国から見離されかねません。そんなことは許しません。首相に抗議します!

今、政治の最優先課題は、福島原発を1日も早く収束させることです。福島原発全10基廃炉、全国の原発即時ゼロを決断すること!2020年のオリンピックが東京に決まったと浮かれている場合ではありません!

いわぶち友さんを囲んでつどい

大槻支部が、参院選挙区候補で頑張ったいわぶち友さんを囲んでつどいを開きました。民商会員さんのケーキ屋さんの2階で、おいしい珈琲とケーキを食べながらのつどいです。20人近くが集まり、橋本憲幸市議と私も参加させて頂きました。

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橋本市議が、開会中の9月市議会の報告。私からは参院選挙での躍進のお礼や、選挙区のいわぶち友ちゃんへの支援に感謝を述べつつ、きょう7年後のオンピック開催が東京に決まったが、安倍首相の原発汚染水の発言はあまりにもひどいと報告。最後に、共産党への入党やしんぶん赤旗の購読を訴え、今後もぜひ力をお借りしたいと挨拶。

DSCN0106いわぶち友さんは、参院選挙結果の報告と、今後の安倍政権がすすめようとしている消費税増税、TPP参加、憲法改悪など危険な暴走をやめさせたい。そのためにも共産党をもっと大きくしてほしいと訴えました。

「友ちゃんは、若いだけあって元気いっぱいだね」との感想や、「年金を引き下げない共産党に頑張ってもらいたい」、「原発はもうやめてほしい。郡山にある水力発電は動かしていないのではないか」などの疑問や意見も出され話がはずみました。

また、夕方は市内4ヵ所で街頭からも訴えました。

県革新懇総会で三上満さんの記念講演/三上満さんと宮沢賢治

IMG_00037日、県革新懇総会と三上満さんの記念講演がありました。三上満(みつる)さんは、金八先生のモデルにもなった元東京都の中学校教師です。

 都教組委員長、全教委員長などを経て、現在、子どもの権利・教育・文化全国センターの代表委員、全国革新懇代表世話人をされています。一方、2003年「明日への銀河鉄道―わが心の宮沢賢治」(新日本出版)で、第18回岩手日報文学賞・賢治賞を受賞されました。

三上満さんの話はこれまでも母親大会などで何度か聞いていますが、こんなに近くでお聞きするのは初めてです。いつもながらやさしい語り口、明るさに、そして心に染み入るお話に魅了されました。

 革新懇は今こそ役割発揮する情勢にあるとの提起はもちろん分かりやすくよかったのですが、宮沢賢治の世界と3・11の震災復興・原発事故に苦しむ被災地とのかかわりについてお話され、とても心癒されました。

IMG_0021三上満さんの著書「賢治の旅 賢治への旅」(本の泉社)は、被災地に生きる私たちに、宮沢賢治の世界を通してみえてくるものがあるようです。

「お知らせ」~9・14~15、郡山市中田町の伝統和紙の「秋蛍」と柳橋歌舞伎にお出かけを!

私の地元中田町の伝統文化行事2つが今年も9/14(土)~15(日)に開催されます。ぜひお出かけ下さい、どなたでも歓迎します。お問い合わせは、中田行政センター(電話024-973-2111)へ。

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「秋蛍」は、14~15日の2日間のいずれも夜6:00~9:00に開催されます。郡山市中田町海老根地区にある『海老根伝統手漉き和紙工房』周辺です。

稲穂が実る田んぼのあぜ道に並べられた手漉き和紙でつくられた「秋蛍」が、ろうそくの灯りにゆらゆらと揺れる様はとても幻想的です。

地元の小中学生や郡山市内の小中学校から出品された「秋蛍」が100個以上並びます。もちろん大人のみなさんの作品もあります。

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15日は、中田町柳橋地区に300年前から伝わる柳橋歌舞伎の上演。こちらは1日のみで、柳橋歌舞伎伝承館(黒石壮)で午後3時開演、夜8時に終了予定です(写真は、昨年上演されたもの)。

 

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保存会のみなさんによって1999年(H11)に復活され、地元の御舘(みたて)中学校の生徒さんたちによる演目もあります。

今年の見どころは、川内村と地元柳橋との三匹獅子舞との文化交流。川内村は原発避難で郡山市内に避難し、住民の帰還が始っていますが、まだ半数程度しか戻っていない現状です。

埼玉県議団が県からの聴き取り、仮設住宅訪問と南相馬市の現地調査で来県

5日、埼玉県議団が調査に来られました。双葉町が加須市旧騎西高校に避難し、支援をして頂いています。双葉町が役場を今年の春にいわき市の植田に移してから、まだ旧騎西高校に残っている避難者100余名の今後の住まいについて、埼玉県と福島県とで協議をしていることから、避難者支援課から聴き取りをされたようです。IMG_0001また、翌6日は、福島市内の仮設住宅を訪問し、南相馬市の小高区を渡部寛一市議案内で被災地を視察される日程とのこと。5日の夜は、柳下県議と松岡県議の2人と事務局2人、そして私たち5人の県議団と食事をしながら、福島の原発被災について意見交換しました。

この懇親会で、今回京都選挙区から当選された倉林明子さんの夫さんは、柳下県議の地元が実家で、いま母の介護のため埼玉に住んでいるとのこと。西会津出身の倉林さんが、埼玉とこんなつながりもあったことを知りました。

原発事故で大変な被害をもたらされ、汚染水問題も非常事態で重い課題が次々と押し寄せる毎日ですが、こうした温かい連帯に心を癒され、新たな力をもらっています。

9月県議会へ向けて「知事申し入れ」~「汚染水対策」で国の対策本部を現地に、県の廃炉監視委員に地質・地下水の専門家補充を!

4日、9月県議会に向け各会派から知事申し入れを行いました。今回私たち党県議団は、特に原発の汚染水問題重大な問題になっていることから、国の責任で対応する体制を求めると同時に、県の廃炉監視委員会に地質や地下水の専門家を加えるよう申し入れました。DSCF3159

本県の復興を妨げる安倍政権の原発再稼働、消費税増税と社会保障の改悪、TPP参加、憲法改悪など、さらにアメリカのシリアへの軍事攻撃を首相が支持を表明するなど、安倍政権の暴走が直接県民生活とかかわることに知事が防波堤になって防ぐべきと指摘。

また、被災者支援については、仮設や民間借り上げ住宅の住み替えや期間延長など、原発事故による長期にわたる避難という実態に即して対応するためには、これまでの法律の枠を超えた対応が求められていること。除染や賠償においても同様であること。さらに、7~8月にかけて発生した局地的な豪雨災害でも、これまでの災害救助法や被災者生活支援法が適用されないことを指摘し、この点でもこれまでの法改正では適用されない問題が多々あることを指摘し、必要な法改正を国に求めるよう要請しました。

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また、子どもの肥満や体力不足、放射能へのストレスなど、子どもの成長にもさまざまな影響が出ていることをふまえ、医師や専門家を入れた「子ども総合支援チーム」を県の子育て担当理事のもとに設置するよう提案。合わせて、教育問題等についても申し入れました。

さらに、国会で1年前に成立した「子ども・被災者生活支援法」の基本方針が、裁判でま起こされてこのほどようやく示されたものの、県内は警戒区域等を除く33市町村が指定されました。こんな線引きをやめて、福島県は全域を対象にすべきと国に求めるよう申し入れました。

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しめやかに、松川事件の元被告・原告団長、党元県委員長の鈴木信さんのお別れ会

13780107130579/1の午後は、福島市グリーンパレスで行なわれた鈴木信さんのお別れ会でした。

戦後まもなく共産党と労働組合運動に壊滅的な打撃を与えるため1949年8月17日に引き起こされた松川事件。その被告とされ、死刑判決を受けながら14年間にわたり無罪を主張し続け、最高裁で無罪判決を勝ち取るたたかいの原告団長を務めた鈴木信さんが、老衰のため今年7/2、92歳で死去されました。そのお別れ会が、この日執り行なわれました。

鈴木信さんは、48年3月に国鉄労働組合福島管理部執行委員長、9月に福島分会執行委員長に就任。共産党には戦後まもなく入党し、47年4月の県議選に立候補。49年8月13日には、党福島地区委員長に就任したばかりでした。

 その直後、松川事件の被告とされ、鈴木信さんら5人が死刑判決を受け、1949年/22~1959年7/1までの11年間投獄。有罪判決を受けた20人の原告団とともに無罪を主張し続け、最高裁で無罪判決を勝ち取るまでその原告団長として命をかけてたたかい抜きました。

松川事件は、県内外に支援の輪が広がり、松対協と呼ばれる全国の支援の会が生まれ、今日のえん罪事件を支援する原型がこの闘いを通じてつくられたという点で、歴史に残るたたかいでした。しかし、GHQの謀略によるものではないかと指摘されつつも、真犯人はいまだ闇の中です。

鈴木信さんは、67年と69年の衆議院議員選挙に立候補。77年11月~85年まで党福島県委員長をつとめました。私が、長野県から福島県郡山に戻った年に委員長を退任されたということもあり、直接知る立場にはありませんでしたが、松川事件の集会や会議等でお話を何度かうかがったことがあります。

今年10月12~13日には「松川事件無罪判決50年」が福島大学で開かれる予定ですが、それを前にしての逝去は大変残念なことです。奥様の八重子さんからも、体調が悪く出席できない代わりに、その思いも込めたメッセージが寄せられました。

IMG_0002また、鈴木さんは活動家でもあり、書道の大家でもあり俳句も読まれる文化人でした。「すぐ帰る、夏シャツ一枚 家あとに」の本人の俳句の色紙が参加者に配られました。