「県民健康管理検査」検討委員会をめぐる報道に関して」副知事へ申し入れ

昨日10/3付の毎日新聞の1面で報道された、福島県が行っている県民健康管理調査に関して、きょう4日午前に党県議団で県へ申し入れしました。村田副知事が応対しました。

毎日新聞の報道によれば、検討会の前に行っていた資料の説明をする「準備会」が「秘密会」だとして批判する内容でした。

ちょうどこの日の午後の一般質問の2日目の最初が自民党だったことから、質問の冒頭でも副知事へ答弁を求めました(私たちは、昨日で一般質問が終わっている)。

村田副知事は、「準備会」については検討委員会における議論の促進図るために開催したものであり、委員の意見等をあらかじめ調整したような事実はない」と答弁。ただし、県民に誤解を招くことなったことについては、議場で陳謝しました。

党県議団は、担当部署へ事実関係について聴き取りを行い説明を求めました。これを受けて、本日4日の午前中に党県議団で県へ申し入れました。

私たちは、こうした問題や誤解を生む背景として、放射能に対する不安が今も県民に大きく広がっていること、また県民健康管理調査の結果に対する行政への不信があることを指摘したうえて、次の点を求めました。

1、徹底した情報公開で行政への信頼回復に努めること 2、誤解を招くような会議の持ち方を改めること 3、県民健康管理調査について、県民の立場で丁寧な説明をするよう徹底すること、の3点です。

村田副知事は、情報公開と透明性の確保は当然であり、誤解を招くような会議の持ち方については改めるとし、県民の立場に立って丁寧に対応していくと述べました。私たちからも、県民健康管理調査において広がった県民の不信を、これ以上行政として招くことがあってはならないと強調しました。

宮川県議が一般質問/知事に発足したばかりの原子力規制員会は真の独立機関といえないと指摘

きょうと明日は、一般質問です。宮川県議がきょう登壇し、知事に対し9/19に発足した「原子力規制委員会」について、真に規制される体制となるよう国に求めるべきと質しました。

原子力規制委員会は、環境省の「外局」に設置されたが、もともと環境省は原子力は環境によいなどとして原子力を推進してきた省庁なのです。宮川県議は、知事は規制委員会が経産省から独立したことを評価しているが、今回の規制委員会は、経済産業省原子力安全保安院の職員が横滑りした組織であることも指摘し、知事の認識を質したものです。

また、国の除染や賠償打ち切り、被災者支援打ち切りの根拠となっている昨年12/16に出した「原発事故収束」宣言を国へ撤回を求めるべきと県を質しました。「事故収束に向けた1つの通過点にすぎない」とこの認識は一致していますが、「撤回」の2文字だけは何度質しても口にしません。知事の姿勢が反映しているのではないでしょうか。

この他、宮川県議は原発労働者の労働安全対策、放射能被害で不足している医療・福祉分野での職員確保についても提言。また、いわき市へ2万3,000人もの避難している実態を述べ、住宅や財政支援などを求めました。漁業問題もとりあげました。

郡山の桑野協立病院がゲート型の内部被曝検査装置を導入

9/4、NHKテレビの夕方のニュースで郡山の桑野協立病院が内部被曝検査装置を導入したことが放映されました。

この器械は、アメリカ製で約2000万円とのこと。ホールボディカウンターではなく、簡易に体内の放射線量を測れるというもので、空港にあるゲート型の検査機器と同じで、3秒程度立っていれば検査できるものです。

これまで難しいとされてきた子どもも検査できるようになりますが、きちんと詳しい検査が必要な方は郡山市などが設置したホールボディカウンターで検査することを勧めているとのこと。

 坪井正夫院長は、昨年11月福大の清水教授らのチェルノブイリ調査団の一員として参加。医師としては、坪井院長1人だけです。坪井院長は、帰国後の報告会で、郡山で避難せずに住み続けることを決意し、病院内に「くわの核害研究所」を立ち上げました。

そして、まず食費食品分析器を導入し、この度ようやく簡便な方法で検査できる方法としてこの検査装置を導入したものです。このゲート型のタイプは全国初とのこと。低線量被曝を受け続けている組合員はじめ市民への測定を徹底してやっていくことにした、その決意があらためて伝わってきました。

きょう10/1から、全国初の福島県内の18歳までの子ども医療費が無料に

10月に入りました。きょうから県は、18歳までの県内すべての子どもの医療費を無料にします。これは、私たち共産党県議団が昨年の県議選の公約に掲げ、運動をすすめてきたものです。

知事は、こうした動き県議選の最終版に国の制度として行うよう求め、その後野田首相にも直接要望しました。しかし、国は「福島の子どもだけを特別扱いしなければならないのか」とか「制度的に矛盾が生じる」などとして実施は困難とし、翌年の2月、県に正式に回答しました。

私は、改選後初の12月県議会の代表質問で、「国がやらないのであれば、県が独自で実施すべき」と求めました。2月県議会の代表質問で宮川県議が再度県独自の実施を迫りました。そして、ついに知事が「18歳以下の県民の医療費無料化」を決断したと表明したのです。

そして、6月県議会では、10月以降の無料実施分としての補正予算約13億円を計上しました。多くの県民からも大変喜ばれていますが、今後は財源の恒久的にに確保するためにも国の財政支援画が欠かせません。

新婦人郡山支部~創立50周年記念フェスタ/いわさきちひろ複製画展と講演会

30日、新婦人郡山支部は、新婦人創立50周年記念フェスタを開催しました。

会場には、いわさきちひろの複製画も展示され、午前中はいわさきちひろ美術館の学芸員の山田実穂さんによる「ちひろの平和への思い」の講演会。山田さんは、実は福島市出身です。

いわさきちひろの絵は、赤ちゃんや子どものかわいい表情の水彩画が特徴ですが、戦火で逃げまどい暗く厳しい表情の子どもや、うつろな瞳をもつ子どもを描いています。

また、原爆が投下された広島の絵本では、その直前まで遊んでいたであろう日常の子どもたちを描くことで、逆に戦争の悲惨さを表したこと。

ちひろは、戦争中の子どもたちを描いた時、実は何度も何度も逡巡したようで、消しゴムで消して線を引き直し紙がこすれてしまっているのが、原画でははっきりみてとれるそうです。

1965年から始まったベトナム戦争では、ベトナムの子どもたちに思いをはせ、ちひろ自らが体験した第二次世界大戦と重ね合わせながら「戦火の中の子どもたち」を描き、初めて母と子も描いたこと。

しかし、ちひろはこの絵本を描き始めた頃に体調を崩し、1974年55歳、原発性肝ガンのため死去しました。

震災・原発事故を受けてしまってから聞いたちひろの言葉は、これまで以上に心に沁みるものでした。

      【講演されたいわさきちひろ美術館学芸員の山田さんと】