福島県内の豪雨災害~国の激甚災害指定に19市町村が対象に

私たちが7月から8月にかけての今回の豪雨災害について、県にも要望して国に求めていた国の激甚災害に指定され、19市町村が対象になることが地元紙の調べでわかりました。

17日付福島民友によれば、福島県内の19の対象市町村は、二本松市、本宮市、大玉村、郡山市、須賀川市、古殿町、小野町、三春町、平田町、白河市、塙町、喜多方市、猪苗代町、会津美里町、柳津町、三島町、北塩原町村、只見町、いわき市です。

激甚災害の指定になれば、復旧事業に国から最大で9割補助されます。

終戦68年目を迎え市内を街宣/加害の歴史も学んで~「命の朝顔まつり2013in富田」

今年の8月15日で終戦68年を迎えました。安倍政権が、憲法9条の改定と国防軍の創設まで公然と述べる中で、今年の終戦記念日を迎えました。この日は、駅前など郡山市内4ヵ所で、富久山支部の宮崎さんとともに街頭から訴えました。

15日、日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式で、安倍首相は歴代首相が表明していたアジア諸国への加害に対する「反省」や「不戦の誓い」を表明しなかったうえ、同日、靖国神社を安倍政権の3閣僚が参拝し、安倍首相は代理で玉串料を奉納したのです。侵略戦争の過去の歴史について反省がないのが歴代の自民党政権です。

民主党や維新の会なども自民党と同じ立場です。元をただせば自民党が本籍ですから、当たり前といえばあたり前でしょうか。

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それにしても、麻生副総理の「ナチスに学べ」との暴言には私も驚きましたが、日本の閣僚として世界に恥ずかしい。橋下維新の会の「従軍慰安婦が必要だった」との発言も、過去の歴史の事実に目を向けず、集団的自衛権の行使でアメリカと戦争する国にしようとする点では共通しています。

一方、2015年のNPT国際会議に向けた今年の準備会議で、「あらゆる核兵器の廃絶を求める」の合意文書に、日本はなんと「あらゆる」の文言に異議を唱えサインを拒否したのです。被爆国日本として本当に恥ずかしい。

 それに比べ、来日しているオリバーストーン監督のなんと的を得た発言か。広島、長崎、沖縄を訪問し、実際に自分の目で見て地元の方や当事者からも話を聞く姿勢はとても好感をもてます。赤旗にも登場しました。

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IMG_0006さて、終戦記念日を前に11日には、郡山市富田町公民館で今年も「平和の朝顔まつり」が開かれました。

案内のチラシ(写真)にあるように坪井さんが代表のこの朝顔まつりは、日本の加害の歴史も伝える学習会もプログラムに入っています。

中国平頂山虐殺事件について、中国人犠牲者の裁判をたたかっている弁護団が講演し、県外・市外からも多くの参加者がありました。

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盆おどり、孫や子どもたちが帰省

13~16日までお盆の行事があり、孫や子どもたちが帰省して久しぶりに家族でゆっくりしました。もちろん、食事の支度はみんなで楽しみながらです.

下枝町内の盆おどりへの招待終戦記念日の街宣やもありましたが、わが家の子どもたちが全員揃うのは年に1回程度です。

 

IMG_0006IMG_0013        【下枝町内のやぐらと、おしゃれな浴衣姿の三姉妹は小学生と中学生】

中田町下枝の盆踊り大会。やぐらは、県の地域づくりサポート事業の補助で子どもたちが舞台で太鼓などを演奏できるよう2段にしたそうです。就園前の小さい子どもたちから小学生、中学生が楽しそうに太鼓を演奏。私は、その周りでみなさんと三春甚句を踊りました。

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 孫は、1歳9ヶ月になりました。微熱が出たりして少しご機嫌が悪かったのですが、パパに靴をはかせてもらい、帽子をかぶせてもらってさあ出発!我が家の周りを自分のリュックをしょってお散歩です。

15日は、長男夫婦たちと、田村市滝根町にあるあぶくま洞へ。涼しさを求めて行ったら親子連れなどで入口前から大渋滞。外は30℃以上もある猛暑ですが、鍾乳洞の中は15℃なので涼しいというより寒いくらい。探検コースを回るなどして久々に遊びました。足下は整備されていて、運動靴程度でも十分です。でも、鍾乳石は人いきれで黒ずむので、従業員はそれを磨くなどメンテナンスをしていると、あとで地元出身の方から聞きました。

16日は、郡山市立美術館へ。滝平二郎氏の切り絵の企画展を鑑賞しました。絵本「花さきやま」などでおなじみの作家で、どこかなつかしく、子どもたちが小さい頃を思い出しました。

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県へ会津喜多方と安達地方の豪雨災害について緊急申し入れ~安達地方議員団とともに

S034203612日、7月から8月にかけての県内豪雨災害について、この間の現地調査をふまえ県への緊急申し入れを県議団、安達地方議員団とともに行ない、生活環境部長が受け取りました。

きょうの申し入れでは、まず激甚災害の指定を国へ求めること。そして、被災者支援の立場から個人宅であっても自力では撤去できない大量の土砂やがれきの撤去を公的に支援すること。河川、生活道路、橋、農地などの復旧を急ぐこと、など12項目です。

S0472049二本松の菅野市議は、農地の復旧は、農地だけでなく、山の法面が崩れ大量の土砂が流入していることから、農地と山の一体的な対策が必要と強調。

 また、河川改修は長期になるかもしれないが、溜まっている土砂を除去するだけでも効果があると指摘し、対策を要望しました。

 それぞれの議員からも、被害状況やその対策について、地元自治体からの要望なども含めて部長に伝えました。

生活環境部長は、かつない豪雨災害だった。激甚災害の指定について、国は明言していないが求めていくと述べました。

災害調査3日目~大玉村の災害調査を県議団と須藤、武田村議と共に

10日、きょうは安達太郎山のふもとの大玉村の南西部でも豪雨災害の被害があり、大玉村へ宮本県議と地元の須藤・武田村議の案内で調査しました。

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土石流で床上浸水になった集会所:沢水がものすごい量の土砂が流れて落ちてきたといいます。山からの沢水を使っているが、山の上の方途中2ヵ所堰止まっている箇所がある。再び大雨になれば、また災害になりかねないと要望されました。

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 また、別の地域では自宅裏の山が崩れ家の中まで土砂が入り、床上まで泥で埋まってしまった。何とか家族や親戚で畳や床をあげ、泥出しが終わった状態で床下が乾くまでは時間がかかりそうです。

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被害を受けた家族の心配は、被害箇所がゆるんでいるところへこれから台風シーズンがきたら、二次災害を受けるのでは?市で対策をなるべく早くやってほしいと。

 今回の豪雨災害は、局地的とはいえ、100ミリどころか、ある地帯には200ミリくらいは降ったのではないかと、市の職員も指摘しています。お年寄りの方は、これまで経験したことがない、ものすごい雨の降り方だったと共通して言っています。

国は激甚災害を指定すべきです。今回の8・5豪雨の前には、7月下旬にも大雨が降ったので、その関連もあるはずです。神山ファイル 042激甚指定は内閣府が決めるそうですが、この指定を受ければ、災害救助法にある全壊・半壊で300万円、100万円の支援を受けられのです。来週12日にも県議団と安達地方議員団とで、県へ災害対策の要望書を提出する予定です。

本宮で渡辺忠夫市議と豪雨災害調査~法面の崖崩れや道路の陥没、大量に土砂が家屋敷地内へ流入

9日、きょうは、長崎に原爆が投下されてから68周年目になります。広島、長崎、福島と、放射能被害による長期に渡る苦しみと人体への影響を及ぼすことは共通しています。核廃絶は世界共通の願いです。核戦争へつながる原発もいりません。みんなで力を合わせて行きましょう!

さて、昨日に続ききょうも豪雨災害の視察をしてきました。渡辺忠夫市議の案内で本宮市内の東部、旧白沢村などを調査。二本松市の小浜地区に隣接している地域です。

 

IMG_0018【道路が陥没し通行止めに】 

 

IMG_0006【大きな杉の木が根こそぎ法面から崩れた箇所では、電話線の復旧作業も】IMG_0017

被害は、岩代小浜地区よりは少ないように思いますが、法面の崩れが多く、道路の陥没もあちこちにみられ、旧白沢村役場付近は、道路が川のように洪水であふれ、一部は床上浸水被害も出ました。

IMG_0014 一番ひどい被害は、写真の家屋被害です。脇の高い裏山の法面が崩壊し、大量の土砂が作業小屋と思われる家屋の一部を呑み込み、原型をとどめていませんでした。

木戸口がふさがれ、がけ側から上って家屋前に行ったら、言葉もないほど、庭先にも大量の土砂で埋まっていました。人の気配がないなと思ってふとみると、長い板にこの家のケータイの連絡先が書いてあったので、思い切って連絡を入れてみました。

IMG_0016メモを書き残したのはこの家の長男でした。仕事の関係で会津に住んでいるが、1人暮らしの母親の世話をしに週1回通っているそうです。豪雨時は、母親が2週間前から市内の病院へ入院していたため、難を逃れられたのは幸いでした。

 しかし、この状態では1人暮らしのお母さんが、退院してきても自宅に出入りできず生活できません。このがれきは重機がなければ撤去は無理です。本人が市の窓口へ相談したら、個人のものは個人で片付けてほしいといわれたとそうですが、せめて、車が出入りできるように撤去を市が支援すべきではないでしょうか。

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二本松市の豪雨災害現場を視察~菅野明市議の案内で

8日、二本松の菅野明党市議に案内していただいて、8/5夕方からの雷を伴う豪雨災害を受けた小浜地区や初森地区などを視察しました。

すでに6日の朝に宮本しづえ県議が3人の市議とともに現地調査をしていますが、私は健診を予約していたため、三春できょうの特別委員会の視察を終えてから、夕方二本松小浜へ向いました。

IMG_0006小浜にある二本松岩代支所で待ち合わせしたのですが、途中本宮市白沢地区に入ると通行止め。ちょうど作業をしていた住民の方が休憩していたので、ドリンクの差し入れを頂きながら被害状況をお聴きしました。写真のように、本宮市白沢地区で法面大きく崩壊し道路が寸断された現場をみてから、待ち合わせ場所の支所へ。

 菅野市議の案内で、まず佐久間支所長に挨拶。ケータイに直接住民からの要望を受けながら奮闘中でした。市の除染事業組合のメンバーもいて、災害現場の復旧で活躍しているようすでした。

さて、支所を出て、二本松市小浜地区へ。5日の夕方5時頃から7時過ぎまで雷を伴う豪雨に見舞われ、下の写真のように大変な被害です。小浜川の下流はもっと被害が大きく、床上浸水した家が多数でました。激甚災害に認定されるべきではないでしょうか。二本松市長も対策を県へ要望し、村田副知事も現地視察をしたようです。きょうは自民党県連も、朝に調査していきました。

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 被害が大きい初森地区のすぐ下流にあるこの方の家は、寸断された橋の向こう側の高い場所にあります。自宅は法面が崩れ、一部土台がずれ、上はゴルフ場なのでそばの田んぼにはゴルフボールがいっぱい落ちているとのこと。

 消防隊は、夜明けを待ってこの一家を救助してくれたそうです。妊娠中の妻と2歳の子どもは、妻の実家に避難中とのこと。

 

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 初森地区の大内区長さんの自宅の1階部分は、法面の土砂が流れ込んでつぶれされ、軽トラックはこの屋根の下です。自宅と道路、川を挟んだ反対側に牛舎があります。20頭の牛ときのう生まれたばかりの子牛もいます。牛たちは、堆肥と泥水で足元はがぼがぼで寝られないでいます。早く橋をかけ、重機を入れて泥水をかき出さないと牛が弱ってしまいます。

さっそく、菅野市議が現場から市長に電話し、早急に橋をかけてほしいと直接要望。市長は現場を見ているので、何らかの手立てを取るでしょう。

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 さらに上流へいくと、このお宅は家は何とか流されずにすみましたが、庭にあった車庫は跡形もなく流されて田んぼに屋根だけが残されていました。菅野市議が示しているところは、流された車庫内の家財など。市で、この地区もこうした家財ゴミを片付けてほしいと要望されました。夜は、近くの公営施設に避難し、3世帯が避難中です。

産業振興・雇用・県土再生対策特別委員会で、郡山の富岡町の仮設住宅と三春町を調査

IMG_0014 8日、県議会の「産業振興・雇用・県土再生対策特別委員会」で、郡山市にある富岡町仮設住宅と三春町を調査しました。

 富岡町の仮設住宅内にある集会所では、町から避難者の現状や課題について説明を受け意見交換。また、仮設住宅の住民代表の各自治会長からも意見・要望をうかがいました。

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冨岡町長選で新しく就任したばかりの宮本皓一町長も出席し挨拶。IMG_0020

斉藤生活支援課長から、「仮設住宅や民間借上げ住宅の住み替えについては、特別な事情以外認められず空室があっても入居できない」とあったので、私はさらに詳しい説明を求めました。

IMG_0002 町によると、何度か県に認めてほしいと要望してきたが、昨年12月以降、県から災害救助法では住み替えは認めていないといわれ、何度要望してもダメだったので町民要望があっても県にた求めるのをやめている。

しかし、避難も2年以上もすぎれば家族の事情も変化すること。子どもが中学生や高校生になれば、同じ部屋というわけにいかないし、高齢者は体力が低下する一方で階段をあがれなくなってくる。病院の診断書をつけたが、よほどの病状でないと認めてくれない。また、原発賠償でとやってほしいともいわれたとのこと。

 しかし、東電は、個別の事情で考えるといいながら、コールセンターに電話するとラチがあかないとも。

県も国も原発避難という特別の事情をみて、別の法律をつくるなどで対応してほしいと要望されましたが、まったくそのとおりです。自民党の吉田副委員長も、この点については国に求めていく旨を発言したので、ぜひ実行してほしいものです。

 自治会長さんたちとの意見交換では、この仮設住宅内にあるグランドゴルフ場のでこぼこを直し、整地してほしいとの要望がありました。一方、原発を推進してきたことをどう反省しているのかと、自民・民主の県議に答弁を求める厳しい意見も出ました。

 IMG_0003三春町役場では、鈴木義孝(よしのり)町長、本多一安議長も出席。橋本副町長と総務課の志賀主幹らからは、除染の方法について改善を願う要望や、葛尾村などの避難者を受け入れている現状と課題について説明を受けました。

 仮設住宅が建てられた場所は、町のスポーツ広場だったり、サッカーやアーチェリー場など町の公用地。これまで町民が利用していたのに使えない状態が長期するのであれば、代替用地を県に要望したいと。もっともです。

最後に本多議長から、県の災害復興公営住宅はなぜPC工法にしたのか。県産材を使った木造住宅にすれば、地元に仕事も雇用も生まれると指摘されました。このことは、私たち県議団も県に求めてきたことでもあり大いに共感しました。

8/3~5、原水爆禁止世界大会・国際会議(広島)で福島の原発被災の現状を報告

 広島市文化交流会館で8/3~5日の3日間の日程で開かれた原水爆禁止2013年世界大会・国際会議で、第二セッション(核兵器廃絶、反戦平和、くらし、環境、エネルギー問題)で、私が福島の現状について10分間の導入報告をしました。これは、日本原水協から県議団への要請を受けたものです。

 私は、原発事故から2年5ヶ月の福島の現状と、収束などしていないのに再稼動と海外輸出をねらう安倍政権。最後に、原発即時ゼロと再生可能エネルギーへの転換こそオール福島の願い、世界の英知と支援をよびかけ発言をしめくくりました。

201308広島国際会議 020201308広島国際会議 003OLYMPUS DIGITAL CAMERA 第一と第二セッションでは、テーマごとに6~7人が1人10分導入発言。第三セッションは、今後の運動についてでした。その第一セッションで、福島のわたり病院の斉藤紀(おさむ)医師(日本原水協代表理事)が報告。野口邦和さん(日本科学者会議)が5日の閉会挨拶をしました。

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 【写真は、左から藤森日本被団協事務局次長、斎藤医師、主催者挨拶をした沢田昭二名古屋大学名誉教授(日本原水協代表理事)、田中日本被団協事務局長、私】

 

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 【フランスの代表(右)は、私の発言を聞いて福島への支援を申し出てくれて】

 

 

 

IMG_0021国際会議は、広島と長崎で開かれる原水爆禁止世界大会の前に開催され、海外と日本の平和運動、NGOの代表、政府代表も加わって核兵器廃絶の道筋を討論する重要な会議ですが、私は初めての参加でした。 

 「核兵器のない平和で公正な世界のために」の今年の大会テーマに基づき、2015年のNPT再検討会議までに、核保有国に対し核兵器の非人道性を広め、どう具体化させていくのかなどを熱心に話合いました。海外からは、20か国90名の団体や個人、政府・国際機関の代表、国内外200人が参加しました。

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【日本原水協高草木さんと日本科学者会議野口邦和OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAさん】【海外代表者との通訳をしていただいた共産党の緒方さんとアメリカのジョセフ・ガーソンさん】

  

 

 

 

 【アメリカのガーソンさん、ジュディス・ルブランさん、日本原水協安井事務局長と共に】

【自然エネルギーの取り組みを報告したドイツ科学者連盟ユリア・ピピグさんと】

 写真下は、フィリピンの代表者で国際会議の進行役もされました。この方の娘さんのマラヤ・ファブロスさんは、日本の通し行進者にとして参加したことを報告。被災地をみて、実際に生の声を聞いた彼女の報告は、涙がこぼれました。参加者からも大きな拍手がわきました。

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4日は、午後の分科会には出ないで、一緒に参加した娘と共に、広島平和公園と原爆資料館を見学。足が棒になるくらいじっくりみてきました。オリバストーン監督も同日見学されたとNHKニュースでわかりびっくり。この日も68年前を思わせる暑い日でした。夕方は宮島にも足を伸ばしてきました。

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