3団体、東電副社長と会い原発事故で緊急申し入れ                                     東電副社長、「30km圏にかかわらず補償するのは常識と思う」と。                                                                                                                                                                                                                                                                                                 県災害対策本部へ第14次申し入れ                                 

 20日、党県委員会、県議団、原発県連の3団体は、今回の東京電力福島原発の事故発生と危険性について、かねてより直接申し入れて指摘してきましたが、今回現実のこととなったことから東電福島営業所を訪問し、東電清水社長あてに緊急申し入れをしました。

東電側は、皷(つづみ)紀男副社長ら3人が応対しました。久保田党県委員長が3団体を代表し申し入れの趣旨を説明。

今回の原発事故は「人災」と認めること。清水社長が会見や国会答弁で繰り返している「想定外」という言い方は、菅首相や海江田通産大臣でも言わないと指摘。

また、被害・損害については、原発から30km圏内という距離や、避難しているか否か、放射線の数値など画一的な「線引き」を行わず、原発に起因するあらゆる被害・損害は、実態に基づいて補償するよう求めました。仮払い金についてもただちに支払い、2次、3次も早期に行うこと、30km圏外についても対象とすること。

原発事故の一刻も早い収束を図ることはもちろん、第一、第二の廃炉を明確にすること。今後長期にわたる(少なくとも30年間)県民と原発労働者の健康に責任をもつことなどを求めました。(全文は、県議団のホームページを参照)

応対した鼓副社長は、まず今回の事故を引き起こしたことを謝罪し、個人的意見だがと前置きしつつ「30km圏にかかわらず補償するのは常識と思う」と述べました。個人的な考えとはいえ、これは今後につながる重要な発言です。

私は、東電の事故はまさに「人災」であること。07年の私たちの申し入れを受け、津波対策や耐震対策をとっていれば防げた事故ではないか、爆発後の初期対応の遅れと合わせれば二重の「人災」と指摘。

加えて、放出された放射能核種の全ての情報公開、原発労働者の被曝事故防止、社長本人による避難者への直接謝罪をすることを求めました。

そして、謝罪は立ったままという失礼な態度ではなく、住民の目線と同じ高さで行なうこと、役場職員の疲れはピークに達していることから、避難所に東電の社員を動員し救援活動に当たるよう求めました。

原発県連の早川代表は、楢葉町で原発の安全性を求め39年間活動し、スリーマイル島もチェルノブイリ視察してきたが、3番目は日本での発生になると警告し、東電へ対策を求め続けてきたのに、それが実行されず現実のものになってしまった・・・と。副社長は、メモと取りながらじっと耳を傾け謝罪しました。

お坊さんでもある早川さんは、障害者とともにいわき市に避難生活を余儀なくされていますが、「自分で訴えることもできない障がい者に代わって訴える」とその苦しい心情を述べ、私も涙がこぼれました。

全国原住連筆頭代表の伊東達也さんは、今後も私たちとの交渉窓口を持つことを副社長に確約させました。また、05年と07年の私たちの申し入れ文書を鼓副社長はみていないことが判明し、市民の声や要望書が東電上層部まで届いていない体質が問題だと指摘する場面も。

このあと、自治会館の県災害対策本部へ出向き、学校の放射能対策などに関する第14次申し入れを行い、また、3団体で東電副社長との会談内容についての記者会見も行いました。

郡山共同センターで炊き出しと街頭募金・署名                                       県南地方は地震被害がひどく

 16~17日の土日は、郡山共同センターで炊き出しをしたり、街頭募金・原発被害への全面補償と福島原発の廃炉を求める署名行動を行いました。スーパーメガホンで私も訴え、髙橋、岩﨑市議、共同センター各団体代表がリレートーク。きょうの行動には約30人が参加し、署名は約200人分、募金は約3万円集まりました。

 

 市内で約300人の市民が避難していますが、トリ汁の炊き出しをして市総合福祉センターや公民館など5か所へ手分けをして届けました。総合福祉センターでは、土日の炊き出しがほとんどなく、この日は朝、昼、晩ともおにぎりが1個ずつだったそうです。そのせいか、とん汁をお代りをする人も多く、たくさん用意したはずでしたがきれいになくなりました。

 それにしても震災から1ヵ月以上も経過したのに、食事の提供はおにぎりか菓子パン、水、野菜ジュースなど、たまにソーセージがつく程度とあまりにも粗末です。避難所の生活環境の整備については、3/25に厚労省から通達が出されています。

 ①避難所の設置期間の長期化が見込まれる場合は、可能な限り被災者のプライバシーの確保、寒さ対策、入浴・洗濯の機会確保等の生活環境の改善対策を講じることとして、マットレス、間仕切りのパーテーション、冷暖房機器の設置、仮設洗濯場の設置。仮設トイレ、高齢者・障害者等には、洋式仮設トイレの設置等を必要に応じて行うこと。

 ②炊き出し、その他による食品の給与を実施する場合、長期化が見込まれるときは、メニューの多様化、適温食の提供、栄養バランスの確保、高齢者や病弱者に対する配慮を必要に応じて行うこと。

 ③高齢者や障害者等の災害時要援護者のニーズを把握し、必要な対応を行うとともに、必要に応じて社会福祉施設等や公的宿泊施設等の協力も得つつ、福祉避難所を設置するなどの措置を講ずること。

 地震発生から1ヵ月がすぎ、県はきょう17日に浜通りからの避難者を第2次避難所へ移動させます。それにともなって、受け入れ先での避難所生活の改善が一定程度図られるようですが・・・?

  ところで、3/11の震災で県南地方は震度6強を観測し、地震被害がひどい状況です。きょうは須賀川と矢吹町を調査してきましたが、須賀川市庁舎は使用不能、矢吹町は4号線から役場までの間の道路、家屋の損傷が目立ちました。

大玉村長の浅和町村会長と原発事故の補償問題などで懇談                                     30kmで線引きせず国・東電が全面補償・賠償をで一致

 15日夕方、大玉村の浅和村長と東電の補償問題などで懇談しました。私と久保田党県委員長、須藤軍蔵村議と武田悦子村議と共に、県内の町村会長である浅和村長に、今回の震災・原発事故に関して、国や東電の対応などについて意見交換しました。

 町村会は、原発立地町が役場機能を移動させて避難させられていることや、飯館村や川俣町の一部のように30km圏外でも避難準備地域に指定されたことから、これら町村長を激励したり津波被害地の現地も見てきたこと。また、村内の各避難所を回ってきたばかりとのことで、そのようすも聞かせていただきました。

 浅和村長は、「原発事故に起因するものは、30km圏内かどうかで区別すべきでないことをすでに東電と国にも要望している」とし、今後の補償・賠償についても力を合わせていくことで一致しました。

 99年の茨城県でのJCO臨界事故の賠償解決をみれば総額150億円程度。当時、農業への風評被害含めて8,000件の申し立てがあったが、約1,000件は取り下げとなり、残り約7,000件でした。取り下げた中で納豆会社などが裁判に訴えたものの、賠償額約15億円の請求に対し、実際に支払われたのは約1億5~6千万円、10分の1程度でした。

 今回、東電は国が決める原発特別交付金に基づいて補償すると言っていますが、国は現行法のままかやや拡げるかもしれませんが、それでも「想定外」だったなどとして、支払いや賠償については30km圏内で線引きしかねません。今野局面で、知事が求める30km圏内だけでなく、原発に起因する風評被害まで含めた全面補償と賠償を求めることが大変重要だと思っています。多くの方のご支援を!

                         【大玉村役場前のみごとな枝垂れ桜】

県庁周辺はいつのまにか桜が満開                                 今も続くチェルノブイリ原発事故の対応

 

 県庁と災害対策本部と議長への申し入れを終わって県庁周辺を見渡すと、いつのまにか桜が満開となっていました。震災・津波、原発事故、誘発地震による地震災害と、この1ヵ月がまるで夢の中にいるようで、ゆったりと外の景色をみる気持ちになれない毎日を過ごしていました。

  でも、季節はすっかり春めいていて、気がつけばみごとな桜。この数日間温かい陽気が続いたせいで、一気に咲いたようです。3人で束の間の花見をしました。

 しかし、現実には、原発事故の影響は厳しいものがあります。14日夜9時台のNHKニュースでは、県警が7km近くまで入ってようやく遺体捜索を始めたようすが報道されたり、チェルノブイリ原発は石棺にしたものの25年経過して石棺が老朽化し、その対策が今も続いていることが報じられました。

 原発事故がいったん起こしたらそれを食い止められない、人間の手に負えないような代物を作ったことへの反省がまず必要ではないでしょうか。そして、あらゆる知恵と技術を結集して、一刻も早い原発の収束を求めます!

     

県へ震災・原発事故の第13次申し入れ                                                         議長へ全協、常任委員会開催を申し入れ

 第13次県への申し入れは、農業対策、教育に関すること、いわき市などの余震による被害への対応など、3項目にわたり要望しました。県災害対策本部の荒たけ次長が受け取りました。

 今回は、私と宮川、藤川県議の3人で要望。特に、宮川県議は、4月11、12日のいわきを震源地とする誘発地震のよって、田人地区の大規模な土砂崩れによる被害が発生し、重機も人手も県内外からの応援が必要なことを強調。家屋倒壊も出て、新たな避難者も増えていること、ライフラインン復旧だったがそれも振り出しに戻ったなどの実情を訴えました。

 私は、郡山安積町の県営柴宮団地53号棟が余震でさらに10数cmも南に傾き、全世帯が避難対象になっていることを示し対応を求めました。

 ところで、4/3に佐藤知事が菅直人首相あてに提出した県の要望書(県のホームページを参照)は、私たち共産党とも一致する内容です。

 知事は、「今回の原子力災害は、現行法の想定を超える広域的な避難、20~30km圏での屋内退避、さらには、役場機能の県外を含む広域的な移転などが行われており、収束の兆しの見えない中で、県内全域において、産業・経済、雇用、教育、医療などあらゆる面で極めて深刻な影響を与えている」として、 

   1 原子力災害の応急対策、復旧対策、復興対策を一元的に所管する組織を設置すること
   2 原子力政策は国策であり、国が全責任を持ち、特別法の制定によって対応すること
という、以上の2点を求めています。

 私たちはこれを評価している趣旨を説明し、知事との懇談を申し入れていますが、渉外班に改めて知事の日程調整をお願いしました。(写真)
 

 原発事故に起因する被害は、30km圏内にとどまっていません。農産物をはじめ工業製品までも風評被害の影響を受け、県内のあらゆる経済活動に影響を及ぼしているのが現状です。今、東京電力の仮払い金100万円の話が30kmでの線引きで実施されようとしていることから、この線引きではなく、風評被害まで含めて全域を対象とさせるよう、現行の原発特別法の拡充させるような立法措置をさせるかどうかの大事な局面を迎えています。

 私たちは、知事へ「原発事故はまさに「人災」であることを東京電力に認めさせること。それに伴う、被害、損害、出費は、当然すべて補償、賠償され、また当面の生活保障する責任を有していること。これを東京電力と国へ賠償、補償を要求するとともに、当面県が手当てするよう」求めるものです。

  一方、議長には、県議会の全員協議会の開催や各常任委員会の開催を求めました。佐藤議長は、県民連合からも同様趣旨の申し入れがあったばかりとのことで、全協よりも前に県議会の災害対策の会議を全議員で開く方向で考えていること、全協や来月には臨時k県議会の開催も視野に検討していきたいとの考えを示しました。県議会としても、震災と原発事故への対策について議論をする局面になっていることで一致しました。

あいつぐ強い余震、原発震災事故はレベル7に

 11日夕方5時16分、福島県いわき市を震源地とする強い余震が福島県と茨城県を襲い、夜になっても連続して揺れました。きょう午後2時すぎにも突然突き上げるような強い地震があり驚かされました。

 ものが倒れるほどではなかったものの、夕べの地震でいわき市では震度6弱を観測し、郡山は5弱でした。いわき市では地滑りで家屋3棟が土砂に埋まり、16歳の女性が亡くなったほか、その後も犠牲者が発見されています。

                                  

 

 

 

 

 

 郡山では、安積町柴宮の県営住宅の1棟が11日の地震発生後から南側に傾きはじめ、昨夜はバンという大きな音が発生し、住民が消防に連絡して大騒ぎになりました。近くに住む岩崎真理子市議がそこにかけつけ、住民から聞き取りを行っています。

 きょうは、岩崎市議と一緒に、現地に行き自治会長さんや避難されている住民の方に話を聞きました。なるほど、53棟だけが全体に傾いていました。自治会長さんによれば最初は5~7cm、夕べの地震でさらに11cmくらい傾いたとのこと。

       

 自治会長さんは、今回の地震被害について、建物の外観の損傷状況と、建物内部についても各戸からアンケートをとって詳しく記録し、それを県に報告していました。

 ちょうど、県中建設事務所の職員が避難先などについて住民説明にこられました。避難先は、最初県の施設をと考えていたようですが、市と話し合い市の避難所に避難できるようになったとのこと。小学生や中学生がいる家族もいたので少しほっとしました。

 また、この報告書から県の担当者は建物から出ている音の問題に気付かされたようです。しかもその音は次第に大きくなっているようです。原因は不明なので、調査することにしたとのこと。

 いずれにしても、それぞれの事情を聞きながら今後もこの住宅に住み続けられるのかどうかを含めて詳しい調査をまず求めたところです。さらに、53号棟だけなのか、他の棟は大丈夫なのか、地盤などもめて再調査を求めたいと思います。

 一方、原発震災のレベルはINES(国際原子力・放射線事象評価尺度)では、チェルノブイリ事故と同じ「レベル7」に引き上げられました。ただし、放射線の放出は10分の1とのことですが。

 

女性支援ネットが避難所の女性専用スペースを要望

  12日、女性支援ネットワークこおりやま準備会の刈米さんが代表し、ビッグパレットに避難している富岡町と川内村の合同災害対策本部に対し、女性専用避難場所の設置を求める要望書を提出しました。私も同行しました。

 これは、長引く避難所生活の中で、若い女性に対し、ふざけてくる男性がいていやな思いをしているなどの切実な声があがっていることから、性暴力からの被害を防止するために避難所の監視や見回りなど行い、できれば専用スペースの設置をと求めたものです。

 ビッグパレットでは富岡町の副町長、川内村の総務課長さんが要望書を受け取りました。このあと郡山市の災害対策本部にも出向き、総務部課長さんと保健福祉部次長さんが応対し懇談しました。

「わあ、馬場議員さん、よく来てくれたね」                                           顔なじみの町民に会えて馬場町議も笑顔

 10日、きょうも浪江町議の共産党の馬場議員と共に、浪江町民が避難している郡山市内の県立高校と県農業総合センターの避難所を訪ねました。

 

 ある県立高校に行くと、浪江町の職員が常駐していて、体育館内で町民に集まるようよびかけてくれました。馬場議員から避難者に要望を促すと、「温泉や旅館など町から指定されたスキー場などの宿泊所は、市街地から遠すぎて不安。子どもの学校をほぼ決めたあとに、二次避難場所が決められてきたが、順序が逆じゃないか」など、次々と意見が・・・。

 「新しい仕事をさがすにも、他に避難していたら捜せなくなる気がする。まったく知らない土地で子どもたちを通学させることも不安。町の職員が避難所に来て説明をしてほしいし、要望も聞いてほしい」と。

 避難して来て、町民同士が集まってみんなで話合いをしたのは、きょうが初めてとのこと。きょう、馬場議員と町民がつながり、率直にみんなで話合いをしたことで、今後の共通問題が見えてきました。

 個別の事情をうかがい終わると、1人の女性がそっと寄ってきて涙でいっぱいになりながら切ない思いを打ちあけてくれました。

  県農業総合センターでは、馬場議員と聞いてびっくりされ、「馬場議員、久しぶりだね。よく来てくれた。会いに来てくれてうれしいよ」と、顔見知りの酪農家夫婦にも喜んでいただきました。私も何度か炊き出しなどでお邪魔して浪江町の方がいるのを知っていたので、ようやく実現できて肩の荷が少し降りた気がします。地縁・血縁は、何と言っても強いのですから。

 

 要望を述べていた方が最後に涙ながらに訴えられました。「私たちが一番望んでいるのは、仕事をしたり、学校に行ったり、病院に通ったり、そんな普通のくらしをしたいだけです。ただ、それだけなんです・・・。せめて、それに近い形になるよう、ぜひお願いします」と。

 今度の大震災と原発事故で、この地域の絆、これまでのあたり前の生活がすべて断ち切られ、避難所も転々と移動させられている。今後の生活の見通しも立てられない。そのやりきれない怒りをどこにぶつけたらいいのか。

 最悪の原発事故が起きたことが、根本原因です。これが困難さを増幅しています。東電と国に、全面補償を!の声をみんなであげていきましょう。

避難者と党町議がつながって、要望次々と                                     青菜が入った野菜たっぷりのあたたかい郡山共同センターの炊き出し

 浜通りから避難している住民がいる県立高校を昨日の夕方訪ね、要望を伺っていたところ、町役場となかなか連絡取れないでいることがわかりました。

 聞けばほとんど同じ浪江町民の方々です。早速、地元の党議員馬場町議に連絡したところ、すぐ訪ねてみたいというので、きょう馬場議員と再度同じ避難所を訪ねました。

  馬場議員は、避難先の二本松市から下着や衣類などの救援物資を車にいっぱい積んでやってきました。避難所では早速、必要なものをとっていただきました。

 避難所内で町民の方に集まっていただき、さっそく馬場議員が相談に応じました。子どもの学校の手続きが済んでいなかった家族には、馬場議員がその場で町の教育委員会へ連絡をとりました。

 ともかく、こうやって郡山市内の避難所に来てくれたのは馬場議員が初めてとのこと。地方議員との連携プレーできるのも共産党ならではです。

 着の身着のままで避難させられ、しかも避難所を転々とさせられる住民の立場から見れば、行政からの情報も乏しく、県や市町村の対応がよく見えてこないと思うのは当然です。

 県では県立高校がそろそろ新学期を迎えるため、当面仮設住宅が建設されるまでの間、あるいは民間住宅などへの入居が決まるまでは、浜通り地方の住民に温泉地など市町村ごとにエリアを決めて移動をすすめています。もちろん、市や県の施設などで避難所くらしを続けざるをえない人はまだまだ大勢います。

 しかし、一律に割り振られてもそうはいかない場合もあるのに、県は市町村ごとに決めたエリア内でと、なかなか柔軟に応じようとしません。この移動に対する不安や今後の生活の居場所をどこにしたらよいのかの迷いも率直に出されました。医療に関する質問が出て、私も県や国に尋ねているところです。

  震災・原発事故からほぼ1ヶ月になろうとしています。明日もまた馬場議員と共に、市内の避難所を訪ねる予定です。

  夕方は、県農業総合センターと市総合福祉センターの2ヵ所の避難所へ救援活動共同センターのみなさんと炊き出しをして届けました。野菜たっぷり、実だくさんのあたかい汁ものの炊き出しはとても喜ばれました。

赤旗1面に、つながり深い女性議員と一緒に登場

 昨日4/8付け、しんぶん赤旗の1面に、私のインタビュー記事が掲載されました。全国で最終版を迎えている県議選の中で、震災・原発事故を受けた福島からのエールを込めたつもりです。前日に県記者からインタビューを受けたばかりなので、翌日付けに、しかも1面とは「想定外」でしたが・・・。

 ところで、私がもっと驚いたのは、上段記事に宮城県仙台市議(太白区)のふなやま由美さんの被災者支援活動のようすを紹介した記事と長野県議選を戦っているもうり栄子県議も同時に掲載されたことです。

 ふなやまさんとは、昨年5月のNPTニューヨーク行動で同じ班でした。以前、保健師をしていた彼女らしく、今回の被災者支援でその経験がフルに発揮されているとあらためて感じた活動内容です。

 さて、もう1人の女性、ちょうど真ん中に掲載されているのが長野県議選をたたかっているもうり栄子さんです。岡谷市・下諏訪区(定数2)で、3期目をめざす県議選をたたかっています。

 下諏訪町は、私の20代に3人の子育真っ最中の9年間を過ごしたなつかしい町です。毛利さんは岡谷市在住で、その時代から同じたたかう仲間として知っています。

 長野県は福島県をタテにしたような細長く広い県で、農業県でもあります。福島県と大変似ていて、私にとっては第二のふるさとのように感じています。諏訪地方は、戦前は女工哀史で知られる紡績工場があった町です。そして、日本のスイスといわれるように精密工業が集積している労働者の町でもあります。ぜひ、ご支援を!

 長野県議団は、県議選が始まる直前の3/29に、石坂ちほ県議団長はじめ3人の県議が、マイクロバスをチャーターして福島県に米・野菜、下着類などの救援物資を満載して支援に来てくれました。私は、郡山にいたので、会えなかったのは本当に残念でした。

 こんな偶然もあるのですね。タイトルにあるように「被災地と全国 心一つに」がまさにぴったりです。